先日、日本経済新聞の連載企画「超知能」第5部・共生の条件のインタビューに、吉本興業傘下FANYの梁弘一社長が登場していました。落語家の桂文枝師匠が米グーグルの生成AI「Gemini(ジェミニ)」を使い、十分ほどの創作落語をつくり上げたという内容です。記事によれば、FANYは吉本興業のデジタル戦略を担う会社で、AI活用を模索するなかで二〇二四年にこの創作落語プロジェクトを始めたといいます。実を言うと、この記事は私のためにリリースされたのではないかと本気で思ったほど、私にとってタイムリーなものでした(笑)。
というのも、私はここ半年ほど、仕事の合間を縫って落語をよく見ているからです。講師業を生業とする者にとって、人をひきつける話し方、話の組み立て、そして間合いというのは、何より重要なスキルです。その観点から見ると、落語というのは実に勉強になります。小刻みに笑いを差し込んでいくものもあれば、最後の「落ち」まではほとんど笑いがなく、その一点で一気に伏線を回収してしまうものもある。掛け合いの会話、扇子一本でさまざまな物を表現する所作、言葉によらないノンバーバルな表現――そのどれもが、話芸の奥深さを教えてくれます。私は以前から関係者に「ビジネス落語なるものを作りたい」と公言してきました。今も講義のなかで、コンテンツの具体例を小話のように展開してはいるのですが、いつか講演の場で本格的にやってみたいと思い続けているのです。そんな折の、この記事でした。
記事を読んでまず面白いと感じたのは、文枝師匠とGeminiの掛け合いそのものです。師匠が最初に「何を話せば人は笑うのだろうか」と問いかけるところから始まり、当初はGeminiも落語の作法すら理解しておらず、師匠が「面白くない」「本当に面白くない」とダメ出しを繰り返したといいます。それでも粘り強く対話を重ねるうちに、師匠がGeminiに落語を理解させようとし、Geminiもまた理解を深めようとしている――そんな双方向のやりとりが、文面からありありと伝わってきました。相当な数のターンを費やしたはずです。そして記事にあったとおり、両者が最後には「師匠と弟子」のような関係になっていったというくだりには、正直、感動すら覚えました。
とりわけ私の心に残ったのは、梁社長が語っていた次の言葉です。「三十パターンのセリフを考えろと言えば必ず考える。決してくじけることなく、あれだけの数のアイデアを出し続けることは人間の弟子にはできない」。これこそがAIの底力だと、あらためて思い知らされました。人間であれば、何度もダメ出しをされれば心が折れますし、疲れもすれば、機嫌も悪くなります。しかしAIは、何十回、何百回と求められても、淡々と、しかし着実に応え続ける。最終的にGeminiが関西弁を操り、スーパーマーケットの社長を主人公にした創作落語まで生み出したというのですから、その粘り強さと発想の広がりには、ただ驚くばかりです。
一方で、梁社長は冷静な指摘もしています。最後に人を笑わせるのは、あくまでパフォーマンスをする人間だ、と。ネタの内容がさほど面白くなくても、力のある芸人が話せば笑える「スベり芸」というものがある。ほんの少しの「間」が生まれた瞬間、芸人のタメや、お客さんの期待感といった、笑いにまつわる無数の変数が発生している。その微妙な空気をセンサーで読み取り、笑いを生み出すAIは当分出てこないだろう、というのが梁社長の見立てでした。会場の空気や客の表情を数値化するのは難しい、というのはもっともな話です。
ただ、ここは私なりに少し違う予感も抱いています。これだけ孤独を感じている人が多い現代社会において、人の微妙な感情をくみ取るAIが登場するのは、案外、時間の問題なのではないか、と。本コラム第二七三回で、AIが恋愛の「おせっかいな仲人」役を担う時代について触れましたが、感情の機微に寄り添うAIへの社会的なニーズは、確実に高まっています。梁社長の「当分は出てこない」という言葉は、裏を返せば「いずれは出てくる」という含みでもあるように、私には感じられました。
そしてもう一つ、私が強く興味をひかれたのが、お笑いをAIで翻訳する字幕生成システムの話です。これは単なる直訳ではありません。映像と音声を統合的に分析し、フリとオチを判断したうえで字幕に反映する。「なんでやねん」というツッコミを「なぜなんですか」と訳したのでは面白さは伝わらず、「そんなわけないでしょ」と訳さねばならない――という一節には、深くうなずきました。文化的背景まで踏まえて翻訳できれば、これまで日本語話者に限定されていたお笑いが、世界へ「出荷」される日も、そう遠くないでしょう。「Kawaii」が世界に広まったように「Owarai」を世界へ、という梁社長の展望は、決して夢物語ではないと思います。
こうして記事を読み終えて、私の胸に残ったのは、いつもの結論でした。すなわち、AIとは人間の力を「増幅」させるものだ、ということです。文枝師匠は、Geminiによって創作の幅を何倍にも広げられました。三十パターンでも百パターンでも臆せずアイデアを出す弟子を得たことで、師匠の発想はかえって刺激され、磨かれていったのです。字幕システムにしても、芸人の話芸そのものを機械が肩代わりするのではなく、その面白さを世界中の人に届けるための「増幅装置」として機能しています。前回の第二七九回で、私は大丸松坂屋のDXが、販売員の目利き力や接客力を消し去るのではなく、デジタルで「増幅」する方向に進んでいることを取り上げました。今回の落語の話も、まさに同じ地平にあります。デジタルはあくまで土台であり構造であって、本質はやはり人にある。この軸は、業種や場面が変わっても、少しも揺らぎません。
私たち講師や人材育成に携わる者にとっても、この構図はそのまま当てはまります。AIを使えば、研修コンテンツのアイデアも、事例の切り口も、いくらでも量産できる時代になりました。しかし、最後に受講者の心に火を灯し、笑いを取り、腑に落ちる学びへと導くのは、結局のところ登壇する人間の話芸であり、間合いであり、人間力です。第二七一回で商談にリアルタイムで助言するAIエージェントを取り上げた際にも書きましたが、どれほど優れた助言をAIが与えてくれても、それを自分の言葉として自然に繰り出せる「自力」がなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。AIという強力な弟子を得たからこそ、師匠である私たち自身の話芸を、いっそう磨かねばならないのです。
AIが「師匠と弟子」の関係を結び、人間の創作を増幅させる時代。だからこそ私は、いつか本格的な「ビジネス落語」に挑んでみたいという思いを、あらためて強くしています。伏線を張り、間を活かし、最後の落ちで学びを一気に回収する――そんな話芸で、ビジネスパーソンを元気にできたなら、これほど愉快なことはありません。その稽古の相棒として、私もそろそろAIという弟子に「三十パターン考えてくれ」と頼んでみようか。そんなことを、にんまりと考えている今日この頃です。