第35回 シェイクスピアの登場人物のレジリエンス(23)尺には尺を
2022/02/15
前回はシェイクスピアの戯曲「ヘンリーIV 第二部」の主人公ハル王子のレジリエンスについて検討してみました。
今回はシェイクスピア作品の中でも問題劇とされている「尺には尺を」のウィーンの公爵ヴィンセンシオのレジリエンスを検討してみます。
「尺には尺を」は喜劇であり問題劇
前回までの二回にわたって「ヘンリーIV 第一部 第二部」という英国の歴史を題材とした作品を扱ってきましたが、今回は喜劇的要素が多く見受けられるものの、ややストーリーの粗雑さつまり観客あるいは読者に疑問がいくつも残ると言われている作品です。
ここでいう「尺」とは聖書の言葉「あなたが裁くその裁きで自分も裁かれ、あなたがその量るその量りで自分にも量り与えられるであろう」のメジャーの意味です。
この作品はシェイクスピアの悲劇時代の1604-1606年に書かれたと言われています。
この時代シェイクスピアはロンドンの疫病による劇場封鎖が原因の経済的困窮、その後一時好調だったシェイクスピアの所属していた“侍従長一座”でしたが、最大のパトロンのヘンズドン卿の突然の死、そしてわが息子ハムネットが11歳で死ぬなど生涯でも最大級の悲しみが襲います。
こうした悲しみが「尺には尺を」の登場人物にも影響を与えたと思われます。
登場人物たちは誰もがシニカル(冷笑的、皮肉っぽい等)に思えます。
このため、心から笑える喜劇には仕上がっておらず、私個人としては問題劇としたいと思います。
この芝居を深く楽しむためにはキリスト教や英国におけるキリスト教の歴史について学んでおくと良いでしょう。
この芝居の背景には当時の英国における宗教改革による教会の権威の強化(教会法及び教会裁判所の機能の整備・強化)により、婚前交渉に対する厳罰化がされたことなどがあると思われます。
そもそもシェイクスピア自身、結婚前に後に妻となるアンの妊娠がありました。
当時より少し前までは英国社会もこうしたことには寛容だったのですが、この芝居を書いた時期には社会情勢が変わっていて教会法により厳罰が与えられました。
もちろん死刑とはならないのですが。そうしたことに対するシェイクスピアなりの皮肉も多々入っていたのではないでしょうか。
そのために表面上は理解に苦しむような展開となったのかもしれません。
裏の裏まで読まないと心から喜べない作品だと言えましょう。
シェイクスピアの全作品を翻訳した松岡和子先生は、「尺には尺を」の訳者あとがきの中で、「シェイクスピア喜劇はすべて結婚で終わり、悲劇はすべて結婚から始まる」と書いています。
この作品の中では結婚で終わるという観点からすれば喜劇と解釈することもできます。
因みに私が観たBBCのシェイクスピアコレクションDVDでは、ケイト・ネリガン演ずるイザベラとティム・ピゴット・スミス演ずるアンジェロがイザベラの兄の釈放とイザベラの純潔を交換する、しないを話し合うシーンがとても印象的でした。
日本で言えば、時代劇の悪代官が若い女性を手籠めにしようと女性の家族の命を脅かす場面と重なりました。
この作品のイザベラはシェイクスピアのキャラクターの中でもはっきりと自己主張をするタイプの女性として描かれていて、ただの若くて美しい女性というカテゴリーからは外れます。
「尺には尺を」のストーリー
シェイクスピア戯曲「尺には尺を」のストーリーは以下の流れです。
ウィーンの公爵ヴィンセンシオは、自分は海外に行くからと部下のアンジェロに自分の代わりに公爵代理としてウィーンの統治をするよう伝えます。
しかし、実のところ公爵は修道士の身なりをしてアンジェロの厳格なやり口を観察します。
アンジェロは非常に厳格で、14年間眠っていた厳しい法律を復活させます。
結果として婚約者のジュリエットを妊娠させたとして、クローディオを姦淫の罪で死刑囚とします。
これに対して、修道女見習いだったクローディオの妹イザベラが兄の助命を嘆願します。
ウィーンを代理統治しているアンジェロはこのイザベラに情欲を感じて、兄の命と引き換えにイザベラの身体を要求します。
イザベラは自らの貞操を選び、兄の助命嘆願を諦めます。
公爵は修道士の姿のままクローディオに死を受け入れるよう説得を試みます。
一方で、アンジェロと以前婚約して結婚直前に婚約破棄をされたマリアーナを、イザベラの代わりにベッドに向かわせます。
アンジェロはこのベッド・トリックに騙される訳です。
ただし、アンジェロは約束を裏切ってクローディオに処刑の命令を出します。
しかも執行を早めるように、また、処刑したクローディオの首を持ってくるように伝えます。
公爵はこれに対して、死んだ海賊の首を代わりに差し出します。
イザベラにも兄が死んだと告げます。
公爵が宮廷に帰ってくると、イザベラとマリアーナがアンジェロの裏切りの件を公爵に訴え出ます。
アンジェロは自分が潔白だと言いますが、公爵はすべてを見ていたことを告げます。
アンジェロに対して姦淫罪で死刑を宣告します。
それに対して、マリアーナとイザベラが今度は命乞いをします。
こうして公爵ヴィンセンシオはすべてを許します。
その後、自分はイザベラに求婚します。
ハッピーエンドの喜劇のように見える「尺には尺を」ですが、なぜ公爵ヴィンセンシオが全幅の信頼を寄せていたと思われる部下を試さなければならなかったのか、謹厳実直に見えた部下のアンジェロがなぜ突然情欲に支配され、また悪党に転じなければならなかったのか、なぜイザベラは兄クローディオの懇願を断って兄に死を宣告するのか、また、公爵ヴィンセンシオは一方的にイザベラに言い寄って、答えが無いまま終わるのかといった数々の謎があるのです。
結局は、修道女見習いのイザベラがアンジェロやヴェンセンシオを翻弄している芝居だということになるでしょうか。
公爵ヴィンセンシオのレジリエンス
公爵ヴィンセンシオのレジリエンスは、以下のようになりました。
今回も以下の代表的なレジリエンス要素を用いて分析をします。
1.自己効力感
2.感情のコントロール
3.思い込みへの気づき
4.楽観
5.新しいことへのチャレンジ
自己効力感はあまり高いとは言えません。
なぜならば、部下のアンジェロにウィーンの統治を任せるのは、公爵である自分への批判をかわすためと自信のなさを物語ります。
感情のコントロールは、ある程度出来ていたことと思われます。
部下の蛮行に対して死刑執行を宣言したものの、女性たちの嘆願を聞き入れて減刑します。
こうしたことは予め想定していたことであろうと思われます。
思い込みへの気づきという面では、部下への思い込みから過信頼に発展し、不用意に公爵の代行をさせます。
この思い込みさえなければこの作品で起こる”騒動“は避けることができたと思われます。
楽観という視点からは、部下を過信頼した割にはどこか信じられないところもあり、変装して部下を観察することになります。
あまり楽観をするというタイプではないことでしょう。
新しいことへのチャレンジという視点は、ベッド・トリック(夜伽の相手をすり替えること)や死んだ海賊の首をクローディオの首だというトリックを使って救います。
新しいことをするのがとても好きだということが分かりますし、そうした機知が状況を好転させるという面があります。
次回は、シェイクスピアの悲劇「コリオレイナス」を検討してみます。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
また、シェイクスピアに関するビジネス活用のご参考として、拙著:「できるリーダーはなぜ「リア王」にハマるのか」(青春出版)があります。
この書籍はシェイクスピア作品を通してビジネスの現場にどう活かしていくかを検討するために書かれました。
toshiro@miyamacg.com (筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ