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深山 敏郎

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第140回 困ったときの老荘だのみ エピソード40

2024/02/20

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラム139回目では、「仁義礼智は虚飾」について検討してきました。
老子は自然の摂理である「道」の則ることのみが無為自然であり唯一の方法であると考えました。
今回は、「『低』があるがあるから『高』がある」です。

「低」があるから「高」がある

今回は老子の言葉「『低』があるから『高』がある」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います、天地が創られる前にまず「道」があった、と。
「道」は対立をも超えたひとつのものであり、それは混然一体としている、と。

老子はいいます、世の中の根源は「道」であり、もし天が「道」に則らなければ、天は割けるであろう。
もし地が「道」に則らなければ地は割れるであろう。
もし「道」に則らなければ谷は枯渇し君主は倒れる、と。

貴賤は本来ひとつのものであり、「低」があってはじめて「高」がある。
「低」も「高」もその区別はないのです。
部品はそれぞれでは働くことができず、組み立てられてはじめて機能します。
そうした部品は役に立たないともいえますが、役に立つともいえるのです。

老子は人間も、上下、高低、貴賤などの差は相対的であり、それぞれがあるからもう一方もあると言っているのです。

人はみな相対的である

人間は相対的にどうか、ということであり、その区別は便宜的です。
人間それぞれに価値があります。
もちろん個性がありますので、差異はあるでしょうがその差異はあくまで相対的なものです。
比べる必要がなければ比べなければ良いのです。

人の個性をすべて認めることが大切です。
誰が優秀、誰が仕事ができるといったことは、人と人を比べるからであり、比べなければ気にならないのです。
わたしたちは、他者と自分を比較して一喜一憂するのです。
悩みを自分で見つけ、増長させることは本来、わたしたちの人生に必要ないとは言えないでしょうか。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
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