毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの138回目では、「無為にしてなさざるなし」について検討してきました。 老子は自然の摂理である「道」の本質は「作為を捨てて無心になるべきである、と言っています。
今回は、「仁義礼智は虚飾」です。
仁義礼智は虚飾
今回は老子の言葉「仁義礼智は虚飾」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います、最上の「徳」を身につけた人は、作為的に自らの行動が「徳」であろうと努めない。
だからこそ、真の「徳」となる。
「徳」であろうと作為せず、無為自然である人が本当に「徳」を身につけているといえる、と。
つまり、「徳」を身につけようとはするが、あくまで自然であり、「徳」を身につけたと言いふらすためではありません。
「仁」も「義」も、そして「礼」も同様です。
作為的に「道」にのっとろうとする「徳」は、無為自然が失われたときであり、「仁」があらわれるのは、「徳」が失われたときである。
「義」はまた、「仁」が失われたときにあらわれるもの。
「礼」があらわれるのは、「義」が失われたときである、と。
社会で「礼」が失われたときは、いさかいが起こる時、乱の前兆となる。
やれ「礼」が大切だ、「義」が大切だ、「仁」が大切だ、「徳」が大切だと騒いでいる時は、それらが失われている時である、ということです。
ひたすら「道」にのっとる
言い換えればやれ作法がどう、約束を守ることがどう、人としてこうあるべきだといっている時は、それらが失われて世の中や会社の中が乱れている時です。
私たちが目指すべきは「仁義礼智」の達人ではなく、作為を捨てることです。
ただただ「道」を理解しようとして、それにのっとった行動をとることが必要なのだ、と老子は教えてくれます。
本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
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(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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