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益田 和久

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第279回 百貨店は生き残れるか〜「屋号」というブランドと、それを増幅するデジタル〜

2026/07/10

先日、日本経済新聞に「百貨店は生き残れるか、デジタルで『人』の魅力を増幅」という、大阪公立大学の圓丸哲麻教授による論考が掲載されました。わが国の百貨店は1999年の311店舗をピークに、2026年4月時点で172店舗とほぼ半減しているといいます。とりわけ地方の落ち込みは激しく、都市部が2008年の95店舗から69店舗へと27.4%の減少にとどまるのに対し、地方は1999年の236店舗から103店舗へと56.4%も減っているそうです。郊外型ショッピングセンターの大型化やネット通販の普及、モータリゼーションによる消費者の移動範囲の拡大といった「消費構造」の変化に加え、地域の都市構造・産業構造の縮小や、取引先などステークホルダーとの関係の希薄化が複合的に作用したと分析されています。

百貨店不況といわれて久しいですが、四半世紀でほぼ半減、地方に至っては六割近い減少という数字を突きつけられると、あらためてその深刻さが胸に迫ります。思えば、地方百貨店の閉店のニュースは、ここ数年よく目にしてきました。記事でも、黒字経営にもかかわらず閉店を余儀なくされた岐阜高島屋の例が紹介されていましたが、経営努力だけではどうにもならない構造的な地殻変動が、静かに、しかし確実に進んでいるのだと感じます。

私は仕事柄、地方へ出張に行くことが多いのですが、どの街に降り立っても、大きなショッピングモールがある光景はどこも同じように見えてきます。百貨店が姿を消していく一方で、モールは増えている。この対比そのものが、時代の変化を雄弁に物語っているように思えてなりません。

思い返せば、私たちが小さい頃、週末に少し「おめかし」をして百貨店に連れて行ってもらい、買い物をして、食堂でお子様ランチを食べて帰る――というのは、家族にとって、とても大きなイベントでした。ところが今、そうした話はめっきり聞かなくなりました。代わりに耳にするのは、「休みの日は終日ショッピングモールで過ごす」という話です。百貨店が担っていた「特別なハレの日」という役割そのものが薄れ、人々のライフスタイルが根本から変わってしまったのでしょう。

もう一つ、この記事を読みながら個人的に思い出したのが「外商」の存在です。私の実家は商売をしていたこともあり、小さい頃から外商が出入りしていました。外商というのは、お客様から頼まれたものを届けるだけの仕事ではありません。お客様が欲しがりそうなものを見極めて勧め、売り上げを立てていく――いわば需要を喚起する商売です。ところが、Amazonをはじめとするインターネットショッピングが登場してから、その景色は変わったように感じます。デパートの外商が訪ねてくる前に、ネットのほうが先回りして、お客様の潜在意識に飛び込み、需要を掘り起こしてしまう。本コラム第269回で「一億総外商時代」として書いたことと重なりますが、私は個人的に、ネットショッピングの出現こそが外商の売り上げを削っていった大きな一因だと考えています。

このまま百貨店は衰退していく一方なのか。そう思いきや、記事を読むと、各社はさまざまな取り組みで新たな活路を見いだそうとしているようです。私が特に膝を打ったのは、記事にあった「屋号」という視点でした。

百貨店の最大の強みとは、結局のところ、これまで長い時間をかけて培ってきた「屋号=ブランド」なのではないでしょうか。分かりやすいのはお中元やお歳暮です。同じ品物でも、やはり高島屋の包装紙だからこそ価値がある、と考える方は少なくありません。私の故郷である鹿児島でも、老舗百貨店の包装紙だからいい、という声を今でもよく耳にします。記事では、渋谷から店舗を失った東急百貨店が、施設名に再び「東急百貨店」の屋号を掲げ直したという事例が紹介されていました。売り場は残っているのに、屋号という「記号」が消えたことで「東急がなくなってさみしい」という声が寄せられた――。実体ではなく記号の消失こそが顧客との関係を断ち切る、という指摘は、屋号というものの重みを見事に言い当てていると感じました。これこそが、百貨店の最大の強みなのだと思います。

そして記事のなかで最も納得したのが、「屋号が信頼の器であるとすれば、中身を満たすのは人である」という一節です。器としての屋号に、実際の価値を吹き込むのは、そこで働く人にほかならない。この文脈で紹介されていた大丸松坂屋のDX戦略は、実に興味深いものでした。

通常、DX(デジタルトランスフォーメーション)というと、効率化・合理化・省人化の手段として語られることがほとんどです。ところが大丸松坂屋のDXは、店舗を無人化する方向ではなく、むしろ外商員や販売員がもつ目利き力や接客力を、デジタルで「増幅」する方向に進んでいるといいます。デジタル接点を強化した結果、アプリ会員かつ専用サイト登録者の客単価は非登録客の約2.5倍にのぼり、デジタル外商の売り上げはコロナ前比で3割増を記録したそうです。また、社員が顔を出すTikTokの取り組みでも、商品ではなく「人の個性」を前面に出したことで、これまで手薄だった10〜20代の層を引き寄せたといいます。

百貨店の財産は、なんといってもマンパワーです。だからこそ、その人の魅力を削るのではなく、増幅する装置としてデジタルを使う――この発想が素晴らしい。本コラムで繰り返し述べてきたことですが、デジタルはあくまで土台であり構造であって、本質は人にあります。第276回では通信という「土台」の話を、第277回ではスマホに秘書がつく時代の話を書きましたが、それらと同じ地平で、百貨店もまた「人」を軸にデジタルと向き合おうとしている。効率化の道具としてではなく、人の価値を増幅する道具としてデジタルを捉え直したところに、大丸松坂屋の戦略の非凡さがあると感じます。

そもそも「百貨店」という名前がつくくらいですから、そこにありとあらゆるものが揃っていることこそが魅力です。そして、それぞれの分野を専門的に知り尽くした人がたくさんいることこそが、モールにはない百貨店ならではの価値なのだと思います。正直に言えば、これから百貨店が数を増やしていくとは思いません。しかし、幼い頃に百貨店で大切な思い出をつくった世代の一人として、私はどうにか復活してほしいと願っています。

そのきっかけがデジタルであるならば、効率化のためではなく、あくまで「人」の魅力を増幅するために、新しい百貨店のスタイルを築き上げていく。屋号という受け継がれた信頼の器に、人がデジタルの力を借りて新たな価値を満たしていく。記事の言葉を借りれば、百貨店が生き残る道は「遠い海の向こう」ではなく、「隣に暮らす人々との関係を結び直すところ」にあるのでしょう。それこそが、今まさに必要とされているのではないか。おめかしをして出かけたあの週末を思い出しながら、そんなことを強く感じている今日この頃です。

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