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深山 敏郎

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第161回 困ったときの老荘だのみ エピソード61

2024/07/16

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの160回目では、「農夫のごとく」について検討してきました。
老子は言います。
「農夫のごとく自然に任せて作物を育てることは、政治の原則である」と。

今回は「小鮮(しょうせん)を煮る」です。

「小鮮を煮る」とは何か

今回は老子の言葉「小鮮を煮る」の意味をご一緒に考えましょう。

老子は言います「大国を治めることは、まるで小魚を煮ることのようである」と。

無為の政治を行えば、鬼も出ない

老子は「道」にしたがい無為の政治をすれば鬼(神霊)も出ないと言います。
また、人民も鬼(神霊)の存在を意識せず、また、聖人の存在をも意識しなくなる、と。
つまり人民は自然に行動するということです。

これこそが自然の摂理にしたがうということで、知らずのうちに「道」に従うということです。

ビジネスでの無為とは

ビジネスにおいてこの「小鮮を煮る」ということはどういうことでしょうか。
それはどこからみても自然であり、何も意識する必要はないということです。
そこでは社長も上司もなく、部下もありません。皆が自然に動いているという状況で、それが周囲に受け容れられているということも表します。
どこにも作為や不自然さはなく、ただただ誰もがやるべきことをやって、当然得られるべき結果を得ているという状況です。

私たちはとかく、欲を出し、不自然な状況を作ろうとします。
不自然はどこまで行っても不自然であり、「道」に則っているわけではありません。

こうしたことが、将来の大きな問題につながりかねません。
組織崩壊や人間関係の歪みなどにつながり、結果として自然に得られるべきものが得られなくなるのです。
こうしたことは、私たちが肩の力を抜くことで防ぐことが出来ることでしょう。
肩から力を抜くには、自然体でものごとを捉えることが必要です。
それにはまず、何の先入観も持たずに私たちの肩に力が入っている(かもしれない)ということをきちんと認識するところから始めようはありませんか。


本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
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