毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの158回目では、「策にこだわるな」について検討してきました。 老子は言います。
「作為的なことは、聖者、つまり理想の為政者が天下を治めるには役立たない」と。
今回は「禍福(かふく)は盾の両面である」です。
「禍福は盾の両面である」とは何か
今回は老子の言葉「禍福は盾の両面である」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います。
「そもそも禍には常に福が寄り添い、福には禍が寄り添う。両者を分けて考えることは出来ない」と。
つまり、良いことと悪いことをはっきりと区別できないということです。
いずれにせよ、作為的なことはすべて天下を治める役には立たないとも老子は考えます。
組織にとって「自然な政治」とは
老子は天下を治める人のあり方についてたびたび言及します。
「施策の跡を意識させない自然な政治であれば、民衆の心は常に安らかである。例えば重箱の隅をつつくような政治は人民の心は常に緊張し、戦々恐々の状態に陥る」と老子は言いたいのです。
ここでは「政治」という言葉を「企業統治」あるいは「組織運営」と読み替えてみましょう。
二分法での判断の難しさ
本来「幸い」と「不幸」の区分は非常に難しいものです。
私たちがイメージするのは、相対的に幸福である、相対的に不幸であるといった考えだといっても良いでしょう。
それを無理にどちらかをはっきりさせようと、やれ自分は幸福だ、やれ不幸だと騒いでみても意味がありません。
同じ行為がプラスに働くことも、マイナスに働くこともあるのです。
例えば企業内で望ましいと思ってやってきたことが時代の流れの中で通用しなくなり、逆に企業成長の阻害要因になることもあります。
例えば人事制度、コンプライアンスの社内での普及の仕方、マーケティングのあり方など数々の事例が上がることでしょう。
その時代々々で良かれと思ってやってきたことも、時代が変わると通用するとは限りません。
例えば、部下を動機づけるために飲み会をして気持ちを鼓舞しようという上司の考えなどは、それがプラスになることもあるでしょうが、例えば互いの人間関係、とりわけ信頼関係が出来ていない場合には、参加者は苦痛を味わうことでしょう。
このような行動は、昔ながらの成功パターンを深く考えもせずに「良いことだからやろう」という紋切型の考え方です。
それが通用するとは限りません。
逆効果になることもあるのです。
本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
toshiro@miyamacg.com