毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの135回目では、「主人顔」について検討してきました。 老子は、「道」は万物を生み出し、なおかつ「主人顔」つまり、支配しようとしないということを言いたかったのですね。
今回は、「『道』は用いてこそ価値がある」を検討してみます。
「道」は用いてこそ価値がある
今回は老子の言葉「『道』は用いてこそ価値がある」をご説明します。
老子は言います。
万物の根源である「道」を理解して政治をすれば摩擦が起こらず、天下が平穏になる。
快い音楽が聞こえ、美味しいごちそうがあれば歩く人は足を止めることだろう。
しかしこの「道」をただ語るだけでは意味がない、と。
「道」をただ学問としてとらえると意味がない
「道」はただ学問としてとらえると、まったく役に立ちません。
実行をしてこそ、はじめて価値があるのです。
「道」は頭で分かっただけでは価値がありません。
当然のことですが「道」について語るだけでは何の意味もありません。
それを実行してこそ意味があるのです。
老子は、こうした当たり前のことを言っているのです。
だからこそ、何千年もその考えが継承されているのです。
ビジネスにおいても「道」を語るのではなく、実践せよ
私たちは、「こうあるべき」ということをよく語ります。
語ることと実践することは別であるということを分かっていて、「有言実行」であればよいのですが、頭の中で錯覚が起こってしまうことがあります。
つまり「私はこのように大切なことを知っている、だから偉いのだ、あるいは、だから実践できているのだ」と思い込むのです。
例えば、社長が朝礼で素晴らしい講和をします。
そのために一所懸命にネタを探します。
時には有名な経営者の話を聞きに行き、その言葉を覚えて帰ります。
それで話をするのです。
それ自体は悪いことではないのですが、では、自分の組織つまり自社に合った形で応用することは出来ているのでしょうか。
もしそれが出来ておらず、語るだけであってはなりません。
もし「道」を語るだけなら、評論家にすぎません。
そういう人は社長とはいえ社内には必要ないのです。
つまり、自分が「道」を理解したのであれば、それを確実に実行することこそ価値があるのです。
その実行プロセスこそが「道」の体現なのです。
私たちはついついこうしたことを忘れて、言葉に出すことと実行することの不一致を作り出してしまいます。
それでは「道」は何の役にもたたないのです。
本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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