HACHIDORI NO HANE(ハチドリのはね)HPトップ

深山 敏郎

ホーム > 深山 敏郎 > 記事一覧 > 第108回 困ったときの老荘だのみ エピソード⑧「水にまなべ」

第108回 困ったときの老荘だのみ エピソード⑧「水にまなべ」

2023/07/11

前回このコラムの107回目では、老子の言葉「退いて先をとる」を取り上げました。
天地が永遠であるように、聖人は生きよう生きようとせず、人に先んじようとしないからであるからでした。

今回は「水にまなべ」をご紹介します。

「水にまなべ」とは、最高の善をあらわす

老子は言います。
「最高の善というものは、あたかも水のようである」と。
「水は万物を助け育てるにもかかわらず、我も我もと自己主張をせず、誰しも嫌う低いところへと流れます。だから水は「道」に似ているのです。

水はわけへだてなく他を潤し、与えます。
おさまるときには必ずおさまり、その働きには無理がありません。水はどのような形の器にもおさまり、変化する柔軟性を持っています。
それはあたかも自己主張をせず、万物を潤す聖人のようです。

水のように自己主張しないもののみが自在な能力を得る

前回、「小我(小さな自分)」に明け暮れる私たちは憂いに縛られるということを理解してきました
筆者の経験では、「柔軟性を高める」ということは、理性では理解できても、体現できるかというとなかなかうまくいきません。
つい自分は正しい、他者は間違っているといった理屈に縛られ、さまざまな摩擦を起こします。
そのたびに、「あっ、いけない、またやっちゃった」とばかり反省するのですが、忘れた頃にまた同じことを繰り返します。

しかし、そのたびにこの「水にまなべ」を実感するのです。
「小我」に明け暮れるのが私たち小人(しょうじん)の性(さが)なのかもしれません。
いつかそうした「小我」も愉しむことが出来れば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
http://miyamacg.com/
toshiro@miyamacg.com