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深山 敏郎

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第107回 困ったときの老荘だのみ エピソード⑦「退いて先をとる」

2023/07/04

前回このコラムの106回目では、老子の言葉「母なるもの」を取り上げました。
「万物を生み育てるものについて触れ、それが私たちの『働く』ことにどうつながっているのかをご一緒に考えました。

今回は「退いて先をとる」をご紹介します。

「退いて先をとる」

老子は言います。

「天地は永遠である。なぜか。それはほかでもない。天地が生きよう生きようとしないからだ。聖人もこれと同じである。人に先んじようとしないので、かえって人の先になる。わが身を忘れているために、かえってわが身を全うする。自己を没却するからこそ、自己の全うが出来るのである」
と。

自己を捨てることができるか

小さな自己を否定することで、自然と一体化することが出来るのです。
私たち小人(しょうじん)は、自己主張に明け暮れます。
その結果、自己を全うすることなく、消えてゆくのです。

老子が理想とするのは天地と一体化した、自然に振る舞うことです。
結果、自己主張をする必要がありません。
自然に振る舞っているだけで、他者に大きな影響力を及ぼすことができるのです。

前回の「母なるもの」の中で扱った「働くこと」の中では他者とのWin-Winの関係を強調しました。
今回の「退いて先をとる」では、自己のWinをも捨て去るという究極のあり方について述べています。

「小我」に明け暮れる自分を愛し、自然と一体化できるか

日々仕事に追われている私たちにはなかなか「退いて~~」とはいかず、われ先、自分をアピールする、自己を正当化するなど仏教でいう「小我(しょうが)」つまり個人的な狭い世界で思考し、喜怒哀楽し、自らの小さなこだわりに支配されているのではないでしょうか。
そんな自分を客観するにはどうしたらよいのでしょうか。

筆者自身も「小我」に明け暮れていることを自覚しています。
まずはそこから自分を肯定し、笑い飛ばすことによって過去の憂いを断ち切り、より自然にしたがって振る舞うことが出来るのではないでしょうか。

それがもし「退いて先をとる」ということであれば、そうした「小我」をまず肯定してみることこそが、私たちが自然に振る舞える唯一のことではないでしょうか。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
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