前回は、「オープンなコミュニケーション」についてお話してきました。
今回は「反対意見の尊重」というテーマでお話をします。
反対意見はなぜ必要か
前回、職場では「オープンなコミュニケーションが望ましい」とお伝えしました。 このオープンなコミュニケーションが促進されると、自然に反対意見もたくさん出てきます。
それだけ自由に何でも言えるという環境が保証されているからです。
では、日本企業の中でそれが本当に保証されているでしょうか。
筆者はいろいろな企業の方々の悩みを30年以上にわたってお聞きしてきました。
彼ら・彼女たちとともに考え、ともに悩むことも珍しくはありませんでした。
筆者自身も企業の中で頑張って(?)いた頃、随分と悩みました。
上司の意思決定が明らかに間違っているといったことも数多く目にしてきました。
結果は悲惨なもので、それらの企業の半数は倒産してしまい、今は存在していません。
なぜそうしたことが食い止められなかったのか、ということで悩んだ時期もありました。
筆者自身が堂々と反対意見を出していれば、ああした結果にならずに済んだのかもしれません。
そうでないかもしれません。
反対意見はなぜ必要なのでしょうか。
それは組織で意思決定する際に、いろいろなリスク(一般に“リスク”というと、マイナスのリスクというイメージがありますが、この言葉にはプラスの要因も含まれています。)を適切に管理出来たであろう、ということです。
トップの暴走を食い止められなかった事例は数多くある
反対意見を出せなかったために、トップの暴走、つまりリスク管理が出来ていない意思決定を止められなかった、ということは企業のコンプライアンス違反の事例などで数多く目にし、耳になさっていると思います。企業の規模にかかわらずこうした現象は起こり続けています。
自動車業界のデータ改ざんは大問題になりました。
ホテルや老舗旅館などで食材偽装をした事例、狂牛病が流行った時期に食肉を処分する際、輸入牛肉を国産と偽って多額の補助金を得ていた事例では、企業の根幹が揺らぐ事態になりました。
大企業の経理の不正なども同様です。
行政においては、文書改ざんを指示されて実行したと思われる職員が自殺に至るという痛ましいこともありました。
意思決定会議には「悪魔の弁護人」を置こう
ではどうすれば、こうした暴走や愚行が防げるのでしょうか。
筆者のお勧めの意思決定方法として、「悪魔の弁護人」を置いて意思決定会議を実施するということです。
これは古くからキリスト教において、新しい聖者を選ぶための会議において組み入れてきた方法で、反対意見を言い続ける役割をいいます。
聖者に推薦されるような方にはもちろん実績や人徳が備わっていることでしょう。
ましてやその人を推薦する人が偉い人であれば、反対意見を出しづらいという図式になってしまいます。
そうした時に、役割として必ず反対意見を出さなければならない人を設定するのです。
事前にいろいろと調べておいて、「〇〇さんは聖者にふさわしくありません。なぜならば~~」といったように論理的に説明するのです。
あくまでもそれを言う役割を与えられた人を「悪魔の弁護人」と呼んでいます。
そうした役割の人を設置することによって、他の会議参加者も反対意見を出しやすくなるのです。
客観的にものごとを見るにはこうした工夫が必要です。
なぜならば、わたしたちには認知バイアス、あるいは心理的偏向などといわれる偏見があるからです。
会社組織の中ではいかがでしょうか。
社長や有力幹部が考えている構想に真っ向から反対意見を出す人がどれだけいるでしょうか。
何回か前のこのコラムでLPガス会社の支店長が「雑談ミーティング」を活用して組織が活性化した結果、売上も向上したという話を書きました。
どうか経営者や管理者の皆様、反対意見が出てくる会議を誇りに思ってください。
その時に、意思決定が独断専行ではなく、多くの知恵の結果となることでしょう。もちろん、上司はそれらのプラスやマイナスのリスクを勘案した上で意思決定をし、結果にも責任を持つ覚悟が必須です。
また、トップや管理者が「部下や関係者の反論を傾聴する心の準備」が必須なことは当然です。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ