第45回 シェイクスピアの登場人物のレジリエンス(33)
2022/04/26
前回はシェイクスピアの喜劇「間違い続き(「間違いの喜劇」ともいう))」の双子の主人公アンティフォラス(エフェソス)の妻エイドリアーナのレジリエンス分析を、私のジュディ・デンチさんや夫のマイケル・ウィリアムズさんとの想い出とともに書きました。
今回はシェイクスピア悲劇「タイタス・アンドロニカス」の悪の主人公エアロンのレジリエンス分析をしてみようと思います。
参考にしたのは、過去に拝見した劇団昴公演、松岡和子先生の翻訳、BBCのDVD、そしてOxford版のシェイクスピア全集です。
毎回、個人的な想い出とともにこのコラムを書いていて、懐かしさがこみあげてきます。
今回ご案内する「タイタス・アンドロニカス」も劇団昴公演(1976年11月~12月)の想い出とともに書いてみたいと思います。
手元にある当時のチラシを見てみると、この作品でタイタスを演じたのは石田太郎さん(故人)、タモラ(BBCのDVDの発音にならってタモラとしましたが、タモーラ、あるいはタマラと表記される時があります。
因みに劇団昴公演では、タマラという表記でした)を演じたのは北村昌子さん、そしてエアロンを演じたのは刑事コロンボの声を長年ご担当していらした小池朝雄さん(故人)です。
北村さんには、終演後のパーティーで「深山君、あなたとっても声がいいから俳優になりなさいよ」と声掛けをしてもらい、その気になりました。
とてもチャーミングで、私の憧れの女優さんのお一人です。
エアロンを演じた小池さんは、以前、「ジュリアス・シーザー」のブルータスを演じたこともあり、その落差というか違いをご本人にお尋ねしたことがあります。
すると彼は「エアロンもブルータスも役柄としては自分の生き方を貫いた、いわば一直線の人物ですから、大いに共通する部分がありますね」といった意味のことを仰っていました。
とても優しい男優さんで、映像の仕事をするのは劇団を支えるため、とはっきりとしたポリシーを持っていらっしゃいました。
また、中村光夫作 栗本鍬雲の生きざまを描いたの劇団昴「雲をたがやす男」(1971年 福田恒存演出)公演後の座談会で、当時学生だった私に「シェイクスピアのレコードを貸してあげましょう、今度うちへいらっしゃい」と非常に懐の広いところを示してくださいました。レコードは扱いに自信がなかったため、お気持ちだけいただきました。今でも当時の「タイタス・アンドロニカス」公演のことは、私の脳の中に映像や音声として明確に残っています。
今でも役者としてだけでなく、人間として非常に尊敬しています。
「タイタス・アンドロニカス」のストーリーは復讐の応酬
この作品は、とにかくおどろおどろしい、命やプライドをずたずたにする復讐の連鎖劇です。
冒頭でゴート人の女王タモラの長男が戦さの責任を取らされて当時の慣例にならい、ローマ軍に殺されます。
タモラはタイタス(タイタス・アンドロニカス:以下タイタスと表記)に息子の命を懇願しますが、受け入れられません。
ローマ皇帝となる先のローマ皇帝の長男サターナイナスはタイタスの愛娘ラヴィニアを妃とすると宣言したのですが、サターナイナスの弟バシエナイナスはラヴィニアを強奪して結婚してしまいます。
その後、皇帝サターナイナスはゴートの女王タモラを妃とします。
タモラはタイタスに復讐の機会を探っており、タモラの生き残った二人のどら息子がラヴィニアをものにしようとしていることを知り、知恵を貸します。
つまりタモラ自身の情夫ムーア人のエアロンがシナリオ作りをし、それを喜んで支援したのです。
ローマの新皇帝らが森へ狩りに出ます。
皇帝の弟バシエイナスと妃ラヴィニアもそれに同行することを知り、この二人をタモラの息子たちは森で待ち伏せします。
バシエイナスを殺し、ラヴィニアを強姦します。その上、ラヴィニアの舌を切り、言葉を話せなくします。
また、両手両足を切断します。エアロンの書いたシナリオは皇帝の弟殺しの罪を、タイタスの息子たち二人の所業であると思わせます。
皇帝はそれを聞いて激怒して、タイタスの息子たちを殺すべく連行します。
タイタスは息子たちの命を懇願するのですが、無視されます。
一方、タモラはすべてを知った上でタイタスに、彼の腕を一本差し出せば皇帝はタイタスの息子たちの命を助けると嘘をつきます。
タイタスはそれを信じ、自らの腕を一本差し出します。ところが帰って来たのは息子たちの首が二つです。その後、暗殺事件の真犯人はタモラの二人の息子であり、愛娘ラヴィニアを強姦し、悪事がばれないように舌を斬り、両手両足を斬ったのもこの二人だとタイタスは知ったのです。
タイタスはタモラに、そして皇帝に復讐を誓います。
また、タイタスの息子ルーシアスはローマを逃れ、ゴート人と力を合わせてローマを陥落する準備をしています。
タモラは男児を出産するのですが、その子が黒い肌をしており、情夫エアロンの息子であるということが分かります。
そのため、もし皇帝が真実を知った場合の破滅を恐れたタモラはエアロンに息子を始末するように伝えるのですが、エアロンはそうしません。
息子を可愛がり、自らの命よりも大切にします。
そうした中、タモラと二人のどら息子はタイタスらの反乱を未然に防ぐため変装してタイタスを呼び出します。
タイタスは相手の策略にひっかかったふりをして、タモラを帰し、彼女の二人の息子を手元に置きます。
そして彼らを殺し、パイにして皇帝や妃のタモラに食べさせます。また、悲しみの内に復讐をなしたタイタスの愛娘ラヴィニアもタイタスによって死にます。
息子たちの肉が入ったパイを、それとは知らず食べたタモラが狼狽すると、タイタスはタモラを刺し殺して復讐を遂げます。
タイタスは皇帝に殺されますが、皇帝もまたタイタスの息子ルーシアスに殺されます。
エアロンの悪事も露見して殺されることになります。
ローマ市民の信任を得たタイタスの息子ルーシアスが次の皇帝となります。
非常に陰惨な復讐劇がこうして完結するのです。
エアロンは肌の色の黒いムーア人であり、シェイクスピアの戯曲「オセロー」の主人公も同様でした。
当時の英国における人種差別や偏見の問題は「ヴェニスの商人」のシャイロック同様、かなり深刻なものがあったと思われます。
シェイクスピアはこうした差別を受けている人々を舞台では悪役にしたり、笑いものにすることがあるのですが、実は彼らにも堂々とその立場を主張させ、また、人権も軽視していないように思えます。エアロンも、タモラとの子どもに注ぐ親としての愛情やプライドといったものを十分に表現しています。
エアロンのレジリエンス
彼のレジリエンスは、以下のようになりました。
今回も以下の代表的なレジリエンス要素を用いて分析をします。
1.自己効力感
2.感情のコントロール
3.思い込みへの気づき
4.楽観
5.新しいことへのチャレンジ
自己効力感は非常に高かったと思われます。
(悪事への)絶対の自信と皇帝の妃タモラの愛情を一身に受けているという自覚が随所に見受けられます。
但し、彼を分析してみると自己効力感の定義に正義感を入れなくて良いのかということを疑問に思いますが、ここでは善悪の判断抜きに自己効力感を自己肯定感であり、絶対の自信と捉えると高いと思います。
ムーア人(黒人)としてのプライドを随所に見せます。
感情のコントロールも非常に上手であると考えられます。
一時の感情に流されることなく、自らの言動に策略家ではありますが、後悔しないだけの感情のコントロールが出来ています。
思い込みへの気づきという面は、この芝居では最後に悪事がすべて露見するということ以外には思い込みはなかったようです。
もっとも再終幕で悪事が露見して自らの息子の命を懇願せざるを得なくなったわけです。
最後は大きな誤算と言えるでしょうが、覚悟は出来ていたと思われます。
楽観という視点からは、良い意味でも逆の意味でも十分に高かったと思われます。
どうせローマのぼんくらどもには自分の計略が見抜けないだろうといった自負心や、それがゆえの油断もあったようです。
楽観がイコール油断になって身を滅ぼしたというのはシェイクスピア悲劇ならではということでしょう。
新しいことへのチャレンジという視点は、計略をどんどん思いついて実行します。
非常に高いと言えるでしょう。
次回は、シェイクスピアのロマンス劇「ペリクリーズ」を検討してみます。
シェイクスピアのロマンス劇というのは、ストーリー自体は悲劇性が高いものの、最後はハッピーエンドになるという作品を指します。
この作品はシェイクスピアのロマンス劇の最初の作品といわれています。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
また、シェイクスピアに関するビジネス活用のご参考として、拙著:「できるリーダーはなぜ「リア王」にハマるのか」(青春出版)があります。
この書籍はシェイクスピア作品を通してビジネスの現場にどう活かしていくかを検討するために書かれました。
toshiro@miyamacg.com (筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ