株式会社オーダースーツSADA 佐田展隆 社長(其の2)
先週に引き続き、株式会社オーダースーツSADA 代表取締役社長の佐田展隆様にご協力頂きました。
今回は、全国55店舗を展開するまでに至ったストーリーとターニングポイントをお届けします。
金山:先週の続きですが、業績回復後に一度会社を退いていると伺いました。
その後どのようにして復帰されたのでしょうか。
会社が中小企業再生支援を受けた後、大手商社系の再生ファンドにオーナー権を渡し会社を去りました。
もう二度と戻ってくることはないと思っていました。
ただ、リーマンショック直後再建に入っていた投資ファンドは解散し、株式会社佐田(※1)は、長年の卸先でもあった商売流通大手企業の子会社となっていました。
経営状態は下降線を辿っていました。そこに追い打ちをかけるように東日本大震災がおきて宮城工場が被災し、お客様でもある東北の小売りテーラーが次々に廃業へと追い込まれました。
このままでは佐田が倒産することは誰もが容易に想像できたのでしょう。
当時の社長から戻ってきてくれませんかと声をかけられました。
正直悩みました。
父にも反対されましたし、妻にも反対されましたが、他人事とは思えない気持ちで戻ることにしました。
金山:戻ってからが大変だったと思いますが、どのように会社を立て直していったのでしょうか。
今までは卸専門でやってきたんですけど、直販事業で売り上げを伸ばすしかないと踏んで一気に方向転換しました。
社内からは不安の声が上がりましたし、みんな疑心暗鬼でした。
世のテーラーさんは、若い人にはオーダースーツは売れないと思い込んでいましたし、メイドインチャイナのオーダースーツなど日本人は買わないと思い込んでいました。
新宿店出店が最大のチャレンジ!一番のターニングポイントに
そんな中2011年10月に小売りのモデル店となる新宿店をオープンしました。
新宿駅南口徒歩3分の好立地でしたが、路面店ではなく賃料の安い雑居ビルの空中店舗にしました。
社運をかけてのチャレンジでした。
自らスーツを着て交差点に出てティッシュ配りをしました。
結果このチャレンジがV字回復の大きな布石となりました。
新宿店は大成功をおさめ、全国に直販店舗を増やすモデル店となりました。
現在は札幌から熊本まで55店舗展開しておりますが、新宿店の出店なくしては今の成功はなかったと思います。
金山:なるほど。
卸専門で長年売り上げを立ててきた会社が一気に方法転換をしていくことは、それほど簡単ではないと思います。
新宿店の成功がターニングポイントとなって今があるとの事ですが、次週はどのように会社が成長していったのか聞かせてください。
今週は全国55店舗を展開するまでに至ったストーリーとターニングポイントをお届けしました。新宿店の成功からどのように会社、組織が成長していったかはとても興味深いですよね。
(※1)株式会社佐田は当時の社名です。現在は株式会社オーダースーツSADAに社名変更しております。
会社情報
会社名:株式会社オーダースーツSADA
本社:〒101-0032 東京都千代田区岩本町2-12-5 5F
事業内容:紳士・婦人オーダースーツ製造・卸・販売
オーダー制服・礼服製造・卸・販売