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伊藤 洋

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第17回 チョムスキーの生成文法

2021/08/09

皆さん、こんにちは!
前回はメディア誕生(グーテンベルグの金属活字印刷)の話しをさせて頂きました。
今回はそのメディアに載せる言葉(言語)についてお話しいたします。

タイトルにした「生成文法」という言葉を聞いたことがある方いらっしゃいますか?
これは言語学者であり、政治や社会などの言論活動にも野心的に取り組むエイブラム・ノーム・チョムスキーの理論です。

簡単にいうと、人間は生まれた時から言語を話す能力を持って生まれてきている。という理論です。彼は「言語」というものは自然現象だと言っています。
なので「日本語」も「英語」というのも存在しない。ただ日本語や英語という「自然現象」の一部を話せる「人」がいるだけだ。と言っています。
ちょっと理解するのは簡単ではない理論ですが、例えば日本の広辞苑という辞書を持ってきても、それが日本語で書かれた辞書であると「日本語」を話せる人がいなければ、それが日本の辞書だとは誰も理解できない。ということです。
また「言語とは単語の集まりであり、単語の意味や用法は社会的慣習として決まっている。したがって言語は社会的現象だ」とも言っています。

同じ東北人でも僕は津軽弁はさっぱりわかりません。もしかしたら外国の言葉なのかしれないと真面目に思ったりします。
それと若者言葉もそれに当てはまりますよね!

昔、西武百貨店のコピーで糸井重里氏が考えた「おいしい生活」というコピーが話題になったことがあります。
「おいしい」生活なんて存在しないんですよね。「生活」を食べることなんてできないんです。
でも、なんとなくそのニュアンスというか、示唆していることは「言語」として表現できないですけど伝わってしまう。

そこに、現れたのが携帯電話の「メール」です。
メールの文章って、会話で話す言語とも、手紙に書く言語とも少し違ってると思いませんか?
さらに進んでいくと「文字」ではない「絵」で伝えたりしています。
そしてそれがお互いのコミュニケーションとして成り立っていますし、逆に若い世代にはそれじゃないと伝わらなかったりします。

先のチョムスキーの理論でいうところの「日本語も英語も存在していない」
「言語とは単語の集まりである」という説が今実際に現れていると思うんです。

ここで皆さんにアドバイスを。
何かしらの広告コピーを書くときは ターゲットとなる相手を想定して、そのペルソナ個人あてに、いつものようにスマホでメールをうってみてください。
必ず良いコピーが生まれてきます!