先日、日本経済新聞に「AIを10分使うだけで正解率が急低下、識者が説く3つの『べからず』」という記事が掲載されました。生成AIの利用が思考力にどのような影響を及ぼすのかを、海外の実験結果や国内の識者の意見から探るという内容です。米カーネギーメロン大学や英オックスフォード大学などの研究者グループの実験では、参加者354人を「AIあり」と「AIなし」に分け、分数の計算問題を15問解かせました。「AIあり」のグループは最初の12問ではAIを使えるものの、残りの3問では予告なく使えなくなります。すると、それまで9割ほどあった正解率が6割前後まで落ち込み、最初からAIを使っていないグループを下回ったうえ、問題を飛ばす割合も2割前後に増えたそうです。実験にかかった時間は、わずか10分少々だったといいます。また、ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学の実験では、AIを使って2週間学習した学生の45日後の抜き打ちテストでの知識定着率が57.5%にとどまり、AIを使わなかった学生の68.5%を大きく下回ったとのことです。
研修の場でAI活用の推進を展開している私にとって、これはかなり考えさせられる記事でした。
記事では、AIをうまく使うための3つの「べからず」が紹介されています。1つ目は、AIを「先生」にしないこと。立命館大学の上原哲太郎教授は、根拠を尋ねると「生成AIが言っていたから」と平気で答える学生が増えていると嘆き、AIは調べ物の手間を省く優秀な検索エンジンとして捉えるべきだと述べています。2つ目は、AIを「学びたいこと」に使わないこと。青山学院大学の松沢芳昭教授は、答えにたどり着くまでの過程にこそ学びがあるのだから、AIは自分がすでに得意とする分野の効率化に使うのがよいと指摘します。3つ目は、AIに「答え」を求めないこと。近畿大学の大塚篤司主任教授は、はじめからAIに聞くのではなく、まず自分の頭でよく考えるべきだと説いています。一つひとつ見ていくと、どれも理にかなっており、まさにその通りだと思います。これは単なる使い方のノウハウではなく、社会全体への警告なのではないか。そう感じました。
実際、企業の現場でも似たような話をよく伺います。学生の頃からAIと対話してきた若者は多く、社会人になってもその習慣は変わらないと聞きます。もちろん一人ひとりの情報リテラシーや思慮分別にもよりますが、AIの回答を鵜呑みにしたり、AIが出した情報だけで物事を分かったような気になったり、作業をAIに丸投げしたりする人が増えている――そんな声を、人事担当者の方々から耳にする機会が増えました。また、AIが職場に浸透することで、先輩が後輩に教えるOJTの機会そのものが減ってしまうのではないかと危惧される方もいらっしゃいます。
ただ、考えてみれば、これはインターネットが登場したときと現象としては同じです。検索すれば答えらしきものがすぐに見つかり、コピー&ペーストで体裁が整うようになったときにも、「自分で調べて考える力が落ちる」と盛んに言われました。本コラム第278回でスマホ認知症を取り上げた際、昔よく言われた「テレビばかり見ているとバカになる」という言葉を引き合いに出しましたが、受け身のまま情報を受け取り続けることの危うさは、道具が変わっても本質は変わりません。第281回で紹介した調査では、AIの回答をそのまま採用する人はわずか2〜3%でした。しかし、「最後は自分で決める」つもりでいても、その判断を支える思考力そのものが知らないうちに痩せていくのだとしたら、話はより深刻です。
とりわけ考え込んでしまったのが、大塚主任教授の懸念です。誰もが情報を入手しやすくなるAIは格差を埋める道具だと思っていたが、むしろ知識や判断をAIに任せる人と、自分の頭で考える人との間に、スキルの格差を生み出す道具になりかねない、というのです。第277回で私は「使いこなせる人と使いこなせない人の格差」について書きましたが、これからはAIを「使えるかどうか」だけでなく、「どう使うか」によって新しい格差が生まれていくのかもしれません。
そう考えると、OJTの価値は下がるどころか、むしろ高まるのではないでしょうか。リオデジャネイロ連邦大学の研究者は、AIが深い学びに必要な「困難」を取り除いてしまうと結論づけています。OJTの本質は、答えをすぐに渡すことではなく、本人に考えさせ、ときにつまずかせ、その過程に寄り添うことにあります。AIが答えを出してくれる時代だからこそ、「あなたはどう考えたのか」と問いかける先輩や上司の存在が、これまで以上に重要になっていくはずです。
一方で、ここは自戒を込めて書かなければなりません。明確なガイドラインが定まらないまま、AIは日々進化し続けています。そのなかで、私たちのような職業の人間が口々に利用促進を呼びかけていることも、こうした状況を生んでいる原因の一つなのかもしれません。最近では、AIを使っていないことに罪悪感を覚えるような空気さえ出てきています。
それでも、どこまで行ってもAIは、単に作業を軽減したり情報を集めたりするためだけのものではありません。本コラムでは第279回や第280回で、デジタルは人の力を「増幅」させる装置だと繰り返し書いてきました。その本当の意味は、作業や情報収集の手間を省いた分だけ考える時間を増やし、自分の能力を覚醒させるところにあるのだと、改めて感じています。
まずは私自身が、日々のAIの使い方が本当に適切なのかを振り返ってみたいと思います。そのうえで、松沢教授が言うように「すでに身に付いている分野」と「これから学ぶ分野」とで使い方を変えるべきなのだとすれば、新入社員とベテランとでは、伝えるべき活用方法も当然変わってくるはずです。相手のレベルに応じた活用方法を、自信を持って指導できるよう、改めて考え直していきたい。AIを推進する立場だからこそ、その「べからず」から目を背けてはならない。そう強く感じている今日この頃です。