第14回 教育・育成に『褒める・叱る』は必要なし!
2021/07/18
褒め方・叱り方について、よく相談を受けます。
その度に、
「私は、褒めたことも叱ったこともありません。その概念がありません。」
と答えています。
でも、外から見ると「褒め上手」「叱り上手」に見えるらしいのです。
それはなぜなのでしょう?
『褒める・叱る』は、コントロールする意図が含まれている?
私は『褒める・叱る』の意識は0です。そのかわり、自分が感じたことを、ありのまま言語化しようと心がけています。
例えば、相手のことを「わ〜、すごい!」「素晴らしい!」って感じたら、感じるまま「わ〜、すごい!」「素晴らしい!」と、相手に伝えます。
逆に「ん?なんか違うんじゃない?」と感じたら、それも、感じるまま、相手に伝えます。
もちろんマイナスのことを伝える時には、伝え方には十分配慮しますが、感じることを伝えるという意味では同じです。
実は、マイナスなことも伝えるからこそ、プラスの言葉を信頼してくれるという側面があります。
いつもいいことばかり言う人に褒められても「あなたは、な〜んでも良く言うから。」って思われてしまいますからね。
このように、本当に感じるままを表現して伝えているから、外から見ると「褒め上手」「叱り上手」に見えるのかもしれません。
そして、本当に感じていることだから、相手の感情に響くのかもしれません。
逆に、相手を『褒める・叱る』と言う意識で言葉を伝えるとき。
その時は、無意識レベルかもしれませんが、相手をコントロールしようとしている場合があります。
例えば、褒めることで、もっと動いてもらおうとか、叱ることで、何かに気づいて欲しい、などです。
それは、もちろん悪いことではなく、効果があることもあります。ですから「いい・悪い」と言う話ではありません。
コントロールの気持ちはすぐに見抜かれる!
無意識レベルのコントロールの気持ちがない、ありのままの言葉は、人の感情に響きます。
時には、例えば私の場合「若いね〜!」などと言うお世辞は、お世辞とわかっていても嬉しく感じます。
だから、コントロールする意図があっても、またお世辞でも「悪いこと」ではなく、相手が喜んでくれるなら問題はありません。
ただ、教育・育成の場面では、コントロールする意図が敏感に見抜かれることが多いのが実情です。それは、多くの人が、コントロールされるのが嫌いだからです。では、どうしたらいいのでしょうか?
時代とともに進化しよう!
今までの教育は、正しい答えや理想の形があり、それに当てはまるように教育すると言うことが主流でした。だから「こうなれ」「ああなれ」「こうするべき」と、コントロールされ続けて来ています。
それが『当たり前』の環境で成長して来ている私たち。だから、人を教育するときに、無意識レベルのコントロールに気付きづらいと言う側面があります。
けれど、人からコントロールされることに対しては、敏感です。
特に、現代の若い年代の方々は、私たちの年代よりも敏感だなぁという現場での肌感覚があります。もちろん人によりますが。
インターネットの普及などで昔とは比べようもないほど情報量が多いと言うこともあるでしょう。
そして現代は、成長期や安定期と違い、先行き不透明な現代。さらに昔よりもずっと多種多様な価値観が共存している社会だという時代的背景もあるでしょう。
今までのように『正しい答え』『理想の形』に当てはめようとしても無理があるのです。ではどうしたらいいのでしょうか?
ありのままを受容する関係を築く!
ありのままを受容するとは、違う価値観を『受け入れる』ことではありません。
まず、自分が本当に大切にしている想いや価値観を一人一人が大切にする、と言うことがスタートです。
自分とのコミュニケーションがまず大事なのです。自分自身の感情、その奥にある想いや価値観。それを自分が大切にして尊重できていると・・・。
全く相反する価値観の人と出会った時に、
「あぁ、自分とは、全く違う相容れない価値観だな。でも、自分が自分の価値観を大切にしているのと同じように、この人もその価値観を大切にしているのだろうな。」
と、受け入れることなく尊重しあえます。どちらも正しいという状態です。
人間関係において、よく見かける『正しさと正しさで対立すること』は、全く建設的ではありません。
そして『どちらも正しい』と言うコミュニケーションは気持ちがいいと言うだけではなく、何かしら創造につながることも多いもの。
それは、自分を尊重している分だけ、人のことも尊重できますので、自分の感情、その奥にある想いや価値観を自分が尊重している、と言うことがスタートです。
そうやって、ありのままを表現しあい、尊重し合うことで、触発しあい、全く別の発想が生まれたりします。
これからの時代は、そうやってお互いをありのまま受容しあい、触発しあい、成長していく時代です。
私は、34年前に教育現場で既存の教育に違和感を覚え、自立自走する教育を試行錯誤し実践して来ました。
最初のうちは理解されず「ダメダメ先生」と言われ、非常に苦労しましたが。
自身の違和感を信じて実践し続けて来ました。
そしてようやく最近、時代そのものが変わり、共感されることが増えて来ました。
実践している人も増えて来ました。
褒める・叱るなどという『表面的』なことで人をコントロールしようとする時代は、実はとっくに終わっています。
誰もが、一人一人、何かしらの才能や役割を持っています。
それらを引き出し、相乗効果を高めるためには『ありのままを受容する関係を築くこと』それがとても重要です。
まとめ
今まで私たちが当たり前に受けてきた教育の延長線で、これからの教育を考えるのではなく、全く別の考え方にシフトする必要があります。
正しい答え・理想の形に人を当てはめるのではなく、答えがないことに、その時々でベストだと思う答えを創造していける教育が必要です。
それは『ありのままを受容し合う』ことが土台となります。人の数だけ答えがあります。お互いにありのままを受容しあい、触発しあいともに成長進化する。
それが、これからの教育・育成に必要な大切なことです。だから、教育・育成に『褒める・叱る』は必要なし!です。