毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの170回目では、「兵法の極意」を検討してきました。 老子は言います。「戦は自ら仕掛けるものではない」と。
今回は「身にはボロを、ふところには玉を」です。
「身にはボロを、ふところには玉を」とは何か
今回は老子の言葉「身にはボロを、ふところには玉を」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います「自分は、誰でも理解することが出来て実践できることしか伝えてはいない。しかし実際には理解できる人もおらず、実行できる人もいないのはなぜだろうか」と。
基本原理をつかむ「意思」
老子は言います「およそ、いかなる意見でも行動でも、それぞれの基本原理を持つ」と。
この原理はつかむ「意思」なくしてはつかむことはできません。
老子の意見を理解し、実行できる人がいないのはこの「意思」にかかわると、老子自身が分析しています。
老子はこうも言います「そもそも、理解する者がいないという事実が、自分の説の貴重さを示しています。身にはボロをまとい、ふところには玉を抱く。聖人というのはそうしたものだ」と。
人生において「成功」の姿はいろいろとあることでしょう。
そうした中で老子の言っているのは「欲におぼれず、自省する」といったスタイルであろうと推察します。
近代の心理学者では、例えばエーリッヒ・フロムは著書「生きるということ」の中で物欲におぼれる生活スタイルからは深い幸福感は得られないと断言しています。
言い換えると「持つ」生き方と「である」生き方があり、フロムのお薦めは「である」生き方です。
老子の言っている「身にはボロをまとい、ふところには玉を抱く」ということの原理を説いていると考えて良いと思います。
本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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