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深山 敏郎

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第163回 困ったときの老荘だのみ エピソード63

2024/07/30

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの162回目では、「天下の牝(めす)」を検討してきました。
老子は言います。「大国は天下における牝のごとし、と。
川でいえば下流であり、諸国が合流を求めるのです。

今回は「真理は善不善の彼岸にある」です。

「真理は善不善の彼岸にある」とは何か

今回は老子の言葉「真理は善不善の彼岸にある」の意味をご一緒に考えましょう。

老子は言います「『道』は万物の内面に貫徹する。
この道理をわきまえている者は、もちろんこれを尊重する」と。

善に偏った考え方を捨てよう

老子は言います、「善」に偏った考え方は自然ではない、と。
世間では「善」を必要以上にもてはやし、「不善」と考えられることを排除しようとします。
これによると「善」のみを行うということになります。
しかし、「道」を理解する人は世の中すべて無駄なものはなく、善と不善とにかかわらず必要であるということです。

老子によると、もし「道」に則るならば天下は自然に治まるのです。

しかし世の中では「道」を理解しようとせず、もっぱら「より優れた人」つまりより「善」を実行する人のみを尊重します。
広く人材を募り、登用します。
登用された人は更に「善」を積もうと必死になります。
そのため、例えば「善」と「善」の戦いとなって、どちらがより「善」なのかを競います。

善に偏った人材登用の罠

ビジネスの世界ではどうでしょうか。

「善」つまり「より組織の生産性に寄与する人を登用しよう、評価しよう」とやっきになるため、それ以外の人はやる気を失い、組織は一部の「評価された人」によって運営されます。
そうすると、組織はごく一部の人のためのものになり、生産性格差や組織内のいろいろな歪みが出てきます。
権力闘争であったり、部門間のなわばり意識であったりといった具合です。

善いだけの人はいない

誰でも知っているように人にはいろいろな側面があります。
「善」だけの人はいませんし、「不善」だけの人もいません。
とかく組織は序列をつけたがります。
細かく比較して、どちらが「善」つまり組織の生産性に貢献するのかを明確にしようとします。
しかし、そうした評価システム自体が組織メンバーのやる気を失わせ、生産性は結果として高まりません。

チームの風土も同様です。ホンネで協力しようとする人が減り、表面だけのチームワークになります。
こうして組織は真の生産性向上とは異なる方向へ走るのです。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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