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深山 敏郎

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第152回 困ったときの老荘だのみ エピソード52

2024/05/14

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの151回目では、「生に執着すれば死を招く」について検討してきました。
私たち人間は妙なこだわり、プライドなどのために生死を自然なものと受け容れがたい、ということでした。

今回は「底知れぬ徳」です。

「底知れぬ徳」とは何か

今回は老子の言葉「底知れぬ徳」の意味をご一緒に考えましょう。

老子は言います。
普遍的な存在の「道」は、その運動法則である「徳」によって生成していき、物という形を持ち、その内容は絶えず変化する運動であり、それこそが「万物」である、と。

「道」の偉大さ、「徳」の偉大さ

老子はまた、こうもいいます。

「道」は万物の源であり、「徳」はこれを養って万物の形を作り、勢いというものを作る。
したがって万物は「道」を尊重し、「徳」を貴ぶ。
こうした「道」や「徳」の働きで、常に自然に生成発展していく。

「道」は万物を生み育てる。
しかも固定せずに存在をしながらも形を変えてゆく。
「功」を誇ることもなく、支配もしない。
これが「道」の底知れぬ姿である、と。

「道」を知らず、「徳」を身につけず

私たち多くの人間は、まるでこういう「道」の存在を意識していません。
ともすれば「私」がやった、「私」が作った、といった具合に自らを誇ります。
その上、生成発展し、形を変えることをも理解していません。

筆者は、ビジネスやプライベートで順調にいっている時はこうしたことにまったく思い至らずに、いわば思い上がっていました。
ところが後から失敗や成功と思われた体験をふり返ってみると、世の中はこうした「道」や「徳」の力のおかげで成り立っていて、絶えず形を変えています。
例えばお客さまニーズです。
ニーズの意味をマーケティングのセミナーや書籍で学び、かなり狭く考えていました。
ずっとその狭い意味でしか考えられず、ニーズの変化に気が付かない、という体験を繰り返してきました。

マーケティング学者たちは、お客様は電動ドリルという「モノ」が欲しいのではなくて、例えば0.5インチの穴が開いた板が欲しいのである、といったことをいいます。
昔は電動ドリルを購入するしか方法がなかったのでしょうが、DIY業界も徐々に対応して穴の空いた板の販売、あるいは板の販売の時に穴開けサービスをしてくれます。
また、こうした穴を必要としない組み立て家具などの販売も始まっています。

私たちの多くは例えばこのようなマーケティング学者たちの言葉を狭くとらえすぎて他業界の話と片づけます。
例えば「うちの会社は板を販売していないから」、あるいは「うちはドリルを作っていないから」等と考えます。

結果として自らの会社の提供するサービスにも同様のこと、つまりニーズを満たす方法の変化が起こっているのに、知らんぷりをして失敗します。

例え電動ドリルのメーカーといえども、パワーを強くするか、コードレスにするか、軽量化するか、といったことにのみ執着するとしましょう。
結果として、一定の需要はあるものの、自社の電動ドリル事業は縮小する羽目になるかもしれません。

多くの場合、こうしたことを自らに置き換えて振返り、教訓を得ようとしません。

こうした失敗を繰り返して、私たち人間は目に見えない「道」や「徳」という存在にやっと思い至るのです。
もう少し自分の学習能力を高めておきたいですね。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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