第151回 困ったときの老荘だのみ エピソード51
2024/05/07
毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの150回目では、「指導者は無心でなければならぬ」について検討してきました。 聖人が無心であるということは、常に人民大衆の気持ちを尊重するということでした。
経営者の場合も、従業員やお客様の本心を知り、それに従うことが唯一の「道」に則った方法なのです。
今回は、「生に執着すれは死を招く」です。
「生に執着すれば死を招く」とは何か
今回は老子の言葉「生に執着すれば死を招く」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います。
生死というものは、いわば出入りであって、「生」というのは、無から有に入ること。
「死」というのは、有から無に入ることです。
これら二つは、「道」の現れであり、どちらも本質的な差はありません。
動物は生死に従う
私たち人間は、生に執着します。
動物は生を受け、死に至ります。
そのプロセスは常に自然で、人間ほどの執着は見せません。
動物は死を受け容れることができるのに、人間はなぜそれが得意ではないのでしょうか。
私たちは、将来の夢を持ち、希望を持ち生きていきます。
しかし動物には恐らく、夢や希望はなく、ただただ生きていきます。
人間というものは
人間というものは、というと大きな話になりますが、生に執着するのですが、反面、自分の欲望、プライドなどに縛られて、自然な生き方、その結果としての死に方が出来ないでいるのではないでしょうか。
私たちが無為自然で生死にこだわらず、また、欲望、プライドなどの虜(とりこ)にならないことが出来た時に、生死を意識せずにただただ生きることが出来るのかもしれません。
レジリエンスが高い人の特徴ということも出来るかもしれませんね。
本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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