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深山 敏郎

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第147回 困ったときの老荘だのみ エピソード47

2024/04/09

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの146回目では、「真の雄弁は訥弁(とつべん)に聞こえる」について検討してきました。
また、西洋の諺「雄弁は銀、沈黙は金」とも対比してみました。

今回は「足るを知る」です。

「足るを知る」とは何か

今回は老子の言葉「足るを知る」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います。
足るを知るということは、何かを得てそれに満足をすることとは異なります。
そうではなくて、あるがままの現実を受け入れてそれに満足することです。
それこそが「道」に則るということになります。
ちょっと難しくなりましたね。

政治がもし「道」に則っていれば天下は安らかに治まります。
しかし「道」が失われて政治にその影響が出た場合、本来、畑を耕すべき馬は戦に駆り出され軍馬になります。
国は疲弊し、多くの民が苦しみます。
こうしたことはなぜ起こるのでしょうか。
こうした大罪が横行するのはなぜなのでしょうか。

老子によると、それは私たちの満足を知らない心がそうさせるのです。

現実を、現実として受け入れる

わたしたちは現実を、現実として受け入れることが苦手です。

自分の理想の姿と現実が乖離しているとき、現実を見ずに理想の姿のみがイメージされるのです。
そこで判断を間違えます。
不要なものを持ち、不要なことを実行します。
その結果がどうでしょうか。事態をさらに悪くし、果ては世の中を嘆くのです。
こうして私たちは自省をせず、間違いを繰り返す。
それが「道」に則っていない、ということです。

客観的とは何か

客観的にものをみようと努力し、数字やロジックを駆使してものごとを客観的に把握したつもりになっています。
ところがどうでしょう。
1,000年、100年、いや10年経ってみると客観的なつもりは、実は客観的ではなかったということが多々あることが分かります。

企業評価、人事評価などは道具でしかありません。
ある程度の概要を理解するためのものです。
それを金科玉条といいましょうか、錦の御旗といいましょうか、どちらもちょっと古い言葉ですね、さも絶対的なツールとして奉(たてまつ)ることによって、間違いが起こるのです。
私たち人間は間違う生き物です。
それを理解してこそ、現実社会で生きていけます。
それは、「道」を唯一の生きる方法としてとらえた場合です。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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