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深山 敏郎

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第146回 困ったときの老荘だのみ エピソード46

2024/04/02

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの145回目では、「欲がすぎれば損をする」について検討してきました。
人生の優先順位を間違えるな、ということでした。
今回は「真の雄弁は訥弁(とつべん)に聞こえる」です。

「真の雄弁は訥弁に聞こえる」とは何か

今回は老子の言葉「真の雄弁は訥弁に聞こえる」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います。
本当に完成したものというのは、一見欠陥だらけにみえるのですが、それは自在、つまり必要に応じて柔軟であるということです。
だからこそ、その働きは無限なのです。

本当にまっすぐなものは、曲がっているように見え、本当に巧妙なものは、稚拙に見えるのです。
真なものは、作為がないため自然のままです。
従って真実らしくは見えないのです。

ギリシャでもあった、雄弁批判?

「雄弁は銀、沈黙は金」(英語では、‘Speech is silver, silence is golden.’)という諺をご存じでしょうか。
一般にこの言葉の原典は英国の評論家トーマス・カーライルの著書『衣服哲学』であると考えられています。
時には沈黙することが必要であるという意味にとられることが多い格言です。
雄弁批判という意味に解釈できます。

他の説としては、ギリシャ時代のアテネの雄弁者・政治家デモステネス(紀元前384年頃 - 紀元前322年)がはじめて使ったという説もあります。
マケドニアのフィリポスII(アレキサンドロスIIIの父王)がアテネを攻略するために、アテネの政治家に金(きん)をばらまいて買収し、骨抜きにしようとしたというのです。
その時デモステネスはアテネの政治家を批判するために、雄弁には銀の価値があり、沈黙には金の価値があると言ったというのです。
当時の金と銀の価値が現代とは一時的に逆転したという仮説もあって、それによると「アテネの政治家たちよ、金で買収されてしまって、本来言うべきことを言わないのはなぜだ。本音を言おうではないか」ということです。
ただし、昔、東京大学史料編纂所に問い合わせたところ、金と銀の価値が一時的に逆転したという説は6:4くらいの少数派であるとのことでした。

本コラムの趣旨とは真逆の立場をご提示したわけですが、いずれにせよ表面上はどうであれ、内容が大切であるということではないでしょうか。
最近の流行りは内容が同じであれば見せ方が大きなインパクトを与えるという風潮があります。
それは前提があって、内容が同じであれば、ということです。
しかし現実には内容が伴わず、短期的な成功を追いかけていることが多いものです。

内容が伴わない見せ方でいくら短期的な成功が得られても、長続きしないことを理解することも重要ではないでしょうか。
これこそが、「真の雄弁は訥弁に聞こえる」ということの言いたいことではないでしょうか。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
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