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深山 敏郎

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第116回 困ったときの老荘だのみ エピソード⑯「根元に返る」

2023/09/05

コラムの115回目では、老子の言葉「大人物」を取り上げました。
老子は「大人物」を、慎重で消極的、重厚でものごとに執着せず、飾り気がなく無心であるとしています。

今回は老子の言葉「根元に返る」をご紹介します。

「根元に返る」とは、自意識を捨て去ること

老子の言う「根元に返る」とは、自意識を捨てて「静」そのものになりきるということです。
「静」とは老子によれば、万物はひとしく生々発展していて、その運動は循環している。
いずれ、もとの現象以前に戻るというのです。
これを「静」になると言い、「根本に返る」と呼んでいます。

草木は茂り栄えるけれど、時が経つとすべては根に戻ります。
この根に戻った状態を、老子は「静」としています。

宇宙を貫く「法則」を知る

老子は、根元に戻るということは自然必然の動きです。
したがって、これは宇宙を貫く「法則」であり、我々が変えられないルールです。
これをしっかり理解することを、「明知」と言います。

この法則を理解していなければ、我々は身勝手な行動に走り、よからぬ結果を得ます。
この「法則」は普遍性を持ち、すべてのものごとに適用されます。
つまり、すべてを包含し、公平無私です。

王者の徳

老子は言います。
「王者の徳」は、「天」と一体であり、「天」と一体であれば、「道」と同じである、と。
「道」を深く理解し、行動に移す人は生涯、無事でいられると。

私たちは日々、悩み、もがき、その結果としてこの「道」という法則を忘れがちです。
しかし、いついかなる時にもこの「道」という「法則」が私たちを包んでいて、それから逃れることはできません。

私たちは度重なる盛衰を繰り返しても、この「道」を理解せずに「法則」からかけ離れた行動に明け暮れて、喜怒哀楽を繰り返します。
そのため、不自然なことを行い、「徳」を外した言動を続けます。
しかし、そうした私たちの言動も、「道」という「法則」のもとには無力であり、やがて衰退をしていくのです。

では、どうすれば良いのでしょうか。
私たちが行うべきは、「道」という「法則」を深く理解し、日々の言動を軌道修正することではないでしょうか。
会社のこと、プライベートのことで悩んだ時には、いわばこの原点ともいう「自然の法則」に戻って考えればよいのですね。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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