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金山 正明

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第58回 この人に聞く!~人・組織が羽ばたく時~

2022/01/23

東京港醸造株式会社 代表取締役杜氏 寺澤善実様(其の2)

今回の対談は、東京港醸造株式会社 代表取締役 杜氏の寺澤 善実様にご協力頂きました。
東京港醸造株式会社様は、東京のど真ん中港区で大都会に蘇った酒蔵としてお酒造りをされております。
代表取締役杜氏の寺澤善実様が40年以上に渡る日本酒造りの経験から開発された酒造りとはどんなものなのか。
今回は寺澤様のターニングポイントと東京港醸造創業ストーリーをお届けします。

金山:先週は日本酒造りに携わることになったきっかけと、蔵人としての歩みを聞かせて頂きました。
お台場醸造所撤退後も東京でお酒造りを続けて来られたのは、人生を変える出会いがあったからと聞いております。
今週はそのエピソードに加え、東京港醸造所の創業ストーリーを聞かせてください。

儲けるためなら無理

そうですね。はじめて声をかけられたのは、2006年ですね。
ちょうど麹造りが出来上がったころだったと思います。
ディベロッパーから港区商店連合会の副会長(当時)が酒蔵を見せてほしいと言われたのがきっかけでした。
当時港区商店連合会の副会長をされていたのが「若松屋」7代目当主の齊藤俊一さんでした。
はじめてお会いした頃から「若松屋」の歴史のことや齊藤さんの想いを沢山聞きました。
※「若松屋」は江戸の創業から100年続いた酒蔵です。
https://hakken-japan.com/columns/interviewterasawa/

お台場での10年間で、小さな空間でのお酒造りは技術的に完成していました。
ただ、うまくいっている事業ではありませんでしたので、儲けるためにやるなら無理ですよという話もしました。
ただ儲けなくても良いとおっしゃったので、当時の勤め先とも相談をしながら酒蔵復活のために動いていましたが、叶わず私は退職をし、斎藤社長とタッグを組むことにしたんです。

金山:若松屋のお酒造りを蘇らせるためにタッグを組んだんですね。
現在の会社はいつ頃設立されたのでしょうか。

現在の会社を設立したのは2019年になります。
お台場醸造所撤退後も当時勤めていた会社に良くして頂いて、3年間は何をやっても給料払い続けるから籍だけおいておきなさいと言っていただいて、夏場は東京で酒蔵の立ち上げ準備を行って、冬場は地方の酒蔵に蔵人として仕事をしていました。
行くところ行くところでとても良くして頂きましたね。

金山:一般的な働き方からは考えられないキャリアの積み方ですね! 

そうですね。
ただ、蔵人ってそういう働き方している人多いんですよ。
冬場だけ蔵人として働いて、その他は出稼ぎに行って。私はそうこうしながら、2011年にはどぶろくとリキュールの免許が取得できて、2016年には清酒の免許も取得しました。
「江戸開城」というブランドで販売をスタートしました。それからキッチンカーでいろんなお祭りに足を運んではお酒の販売をしました。
メディアにも紹介されるようになって、少しずつ認知されはじめたんです。
やっとお酒造りだけに専念できるようになったところでコロナウィルスが流行してお酒の販売ができなくなりました。
それがきっかけでお味噌やお醤油といった製造免許を取得して発酵食にもチャレンジすることにしたんです。
もう一つチャレンジをはじめたのが、無洗米を使った環境にやさしいお酒造りですね。江戸開城のSustainable Sakeという名前で販売をしております。
現在は、お台場醸造所をはじめ東京港醸造、東京駅酒造所など、コンパクトな酒蔵の立ち上げを行ってきましたので、その経験、技術を生かして地方でのお酒造りやコンパクトな酒蔵の立ち上げ支援を行っています。 

金山:お台場醸造所のようなコンパクトな空間でのお酒造りが現在の寺澤さんのキャリアの礎になっているんですね!
次週はこれからのビジョンについてお話し聞かせてください。

今週は寺澤様のターニングポイントと東京港醸造創業ストーリーをお届けしました。
来週もお楽しみください。

会社情報

会社名:東京港醸造株式会社
本社:東京都港区芝四丁目6番10号
HP:https://terasawa.tokyo/index.html 
事業内容:
・酒類の醸造設備、電気機械設備の設計、
・製造、 販売、 賃貸借、 輸出入、 施工、保守及び管理