第182回 困ったときの老荘だのみ エピソード82 「老子編」最終回
2024/12/10
毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの181回目では、「わが桃源郷」をご紹介しました。 老子はこの「桃源郷」を「…ひたすら現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる」としています。
さて、今回は「老子編」最終回です。
老子の言葉「信言は美ならず、美言は信ならず」をご紹介します。
「信言は美ならず、美言は信ならず」とは何か
今回は老子の言葉「信言は美ならず、美言は信ならず」の意味をご一緒に考えてみましょう。
老子は真実を語ることを重視して、言葉を飾り立てることに価値を置いていません。
聖人を基準にする
老子はこの章で、次のように「信言は美ならず、美言は信ならず」としています。
以下、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」からそのまま引用させていただきます。
「真実を語ることばは、飾り気がない。飾ったことばは、真実を語らない。行ないが正しい者の口は、雄弁ではない。雄弁なものは、行ないが正しくない。真の知者は、もの知りではない。もの知りは、真の知者ではない」とあります。
よく他者に伝えるために「プレゼンテーション」のスキルを重視する風潮が見受けられます。
これは今に始まったことではなく、例えばローマ時代のキケロやセネカなど、修辞や詩の技法を用いて伝達するプロフェッショナルが注目されていました。
老子の時代にも、恐らく弁論術を駆使して小を大に見せる、いわば見せかけの言論術が横行していたと考えられます。
老子の場合は、それとは逆で「実」つまり「真実」を優先します。
こうした伝統は、後世代の思想家による格言「良薬は口に苦し(真に重要な忠告は耳に心地よいものではない)」に至るのです。
「老子」の項目まとめ
書籍「老子」と出会って50年程になりますでしょうか。
大学の恩師の勧めで読み始めてから、困ったときには「老荘」つまり、「老子」と「荘子」を読むようにしています。
「老子」が書かれたのが中国の春秋戦国時代、孔子(孔丘 前479没)や墨子(墨翟 ぼくてき 前5~4世紀)ら、多くの思想家が東奔西走していたとのことです。
そうした中で、諸説はあるものの、孔子の学問的方法や態度に忠告を与えたといういわば師匠ともいえる老子(老聃 ろうたん 「老子」の著者とされる)という人物が書いた書物説が浮かび上がります。
諸説ある中でもっとも有力なのが、この老聃も含めたその時代やそれ以前の智恵が蓄積されたものを、学者たちが「老子」という書籍にまとめあげたという説が有力とのことです。
いわばその時代の中国の智恵をまとめたもの、というのです。
そうした伝統の中から、現代に生きるわれわれがビジネスにも少し役立つ知恵を得ることができれば幸いです。
ご興味をもっていただいた方は、ぜひこのコラムの原典である徳間書店の下記書籍を手に取っていただきたい。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。また、引用させていただきました。心から感謝します。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
「荘子」コラム予告
次回は数週間の充電期間をいただいてから、「荘子」コラムをお届けします。
「荘子」は「老子」の流れを汲む考え方で、「老荘の教え」などと表現されることが多いのです。
「荘子(そうじ 書籍の名)」は荘子(そうし 人の名)と恵子(けいし)の対話「大びょうたんの使いみち」など、対話を通して真理を明らかにしようという、同じ紀元前5世紀から同3世紀くらいの時代のソクラテスやプラトン、アリストテレスなどギリシャ哲学者たちの学問手法である対話と類似あるいは符合します。
偶然なのか、どうかは不明です。
また、荘子はノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹先生が「天才の世界」という書籍でとりあげるなど、その天才ぶりが窺われます。
(筆者:深山 敏郎)
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