毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの141回目では、「『道』とは何か」について検討してきました。 老子哲学のエッセンスである「道」とは何かを老子が述べた章でした。
今回は「大器は晩成す」です。
「大器は晩成す」とは何か
今回は老子の言葉「大器は晩成す」の意味をご一緒に考えましょう。
この言葉は老子が言ったということを知らない方もいらっしゃることでしょう。
また、この言葉の真の意味を誤解している人も多いことでしょう。
単に優秀な人が頭角を現すのに時間がかかるといった意味ではないのです。
老子は言います。
「道」はとてつもなく大きいものであり、それゆえに大な器の全体像は見えません。
本当に明るい「道」は暗く見えるものであり、前進を続けている「道」はそうは見えません。
「道」を重要なことであると真剣に捉えている人は、「道」を聞いたら必ず実行に移します。
また、「道」を中途半端に理解している人は半信半疑であり、形ばかりの、“俗にいう”偉い人たちは「道」と聞くと笑い飛ばします。
老子は真の「道」とはこうした人たちからは往々にして嘲笑されるといいます。
当たり前のことを、当たり前に実行する
世の中には誰でも頭で分かっている(つもり?の)ことを、熱心に実行する人と、馬鹿にして怠る人が出てきます。
武道や芸事の修行でも、ビジネスの修練、そして人生の試練でもそれを乗り越えるためには、当たり前のことを、当たり前に、そして確実に実行するしかないのです。
例えば営業の方は、お客様の真に必要なもの(こと)を対話の中で探り出し、何度でもそのキャッチボールをした上で、自社の商品・サービスで提供しようとします。
場合によっては自社の商品・サービスだけではお客様の真に必要なもの(こと)を提供できないこともあります。
その場合には、社外の商品・サービスを含めて検討し、いろいろな方法でお客様に大きな満足を得ていただくように努力します。
こうした「ありきたり」のことを、深く考えた上で着実に実行する者だけが「道」を体現できるのです。
そうしたことは、人生の節目々々で部分的に把握できることがあります。
それでも大きな器の全体像を理解できてはいません。
こうしたことこそが、「大器は晩成す」の意味なのです。
人生は深淵で味わいのあるものなのですね。
本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。
(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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