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星 寿美

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第146回 学びは日常、目の前にある!

2024/02/19

高額の自己啓発セミナーがお好きな方の中には『自分たちは学んで知っているけれど、参加していない人は知らない』という意識になる方がいます。

一部の方なのですが、たまに言葉の端々に感じることがあります。
これが最大の弊害なのではないかと感じることは多いです。
特に経営者など、上に立つ人だと大変です。

セミナーで得られる学びは深いのか?

高額を払って、特別なセミナーに参加して得られる学びは、そんなに深いものではないのではないか?
なぜなら、そのセミナーの『場』は人生には直結していない『場』だから。

理論や、その直結していない『場』で起こる気づきは、人によっては、もちろん人生に直結させて深められる方もいるかもしれませんが、多くの場合は、表層的だと私は感じます。

『パフォーマンスや理論や集団心理など』によって『深く学んだ感』はあったとしても、日常、目の前のことに向き合って日々、学んでいる人よりは具体的ではなく『モチベーションが上がった』『自尊心が満たされた』などという表面的なことが多いように見えてしまうことが多いのです。

日常、目の前の中に本質がある

しかも、日常、目の前のことから逃げずに向き合って、日々成長できる人は、理論がなくても本質を掴み成長できます。内側から変革が起こります。

そういう人が『理論』が説明できないからといって『知らない』と思うのは滑稽で、セミナーで学んでその気になっている人の何倍も深く理解し成長している場合もあるのです。

だから、どこで学んで成長しようが関係なく、ただただ『目の前の課題や、日々起こることに向き合って、より良い未来を創造しようとする』という姿勢が大事だし、だからこそ、面白いシナジーが生まれます。

にもかかわらず、高額の自己啓発セミナーに参加して、感動している(ほんの一部の)人は『自分は知っている・相手は知らない』という前提でコミュニケーションをとってくるので、本当に厄介なのです。

自分も相手も、それぞれ学んだり成長したポイントは違うけれど、それぞれが知っているし、それぞれが知らない、同じフェーズにいるのだ。

そういう意識でコミュニケーションをしないと、どうも本質からズレまくる(笑)
そもそも、お金払って得られることは、人生に直結したことから学ぶことに比べれば、深さが違うと思う。

と書いていて思い出したけれど、そういえば私は、若き頃の保育士時代に。

自分は20歳を超えた社会人だけれど、3歳の子は『私が体験していない3年を過ごしている。私が知らないことを3年分も知っているんだ!』と感じて、どんなに相手が幼いこどもであっても人として対等に接していた。

36歳で子どもを産んで親になった時も、赤ちゃんの我が子の方が、私が忘れてしまった本質を全て知っていると感じて、人として対等に(いや、子どもを師匠に)接した。

子どもたちと関われば関わるほど、私が成長できた!

対等に接することで起こること

そして、そういう関わりは、対話が深まり本音を伝え合える。
本当の意味での仲良し家族でいられる。(喧嘩もできて、誤解も解け合える)

ましてや、会社だったら『同じ大人同士』だ。
自分だけが知っている!なんて意識は、どうも自惚れていると感じてしまう。

家族の中で起こる様々な問題や、社会に出て起こるピンチな状況などに向き合って乗り越えてきた人たちは、たとえ理論としては確立されていなくても。言語化できていなくても。

少なくてもお金を払って、安全な(人生とは関係のない場)で学んだことよりは深く学んでいると私は感じてならないのです。

もちろん、高額セミナーを否定しているのではなく。

実はここ最近、数社の・・・

経営者からは『自分は学んで知っているけれど、部下は学んでないからやりづらい、知らなくて困る』などという言葉。

逆に部下から『社長が変なセミナーにハマって、感情が上がったり落ちたりして困る』というような言葉を聞いたので、自分の見解を言語化してみました。

学ぶことは素晴らしいし、新たな発見は楽しい。成長したい気持ちも尊い。

けれど、傾倒したり心酔している状態は、成長からは遠く、もしかしたら思考停止している可能性もあるのだ。

人を下に感じるときをバロメーターに

自分が知っていて、相手は知らないと、人を下に見るようなことがある場合は、その可能性は大。
成長なのか思考停止なのかのバロメーターにしてほしいと思う。

もうひとつ言うなら、高額セミナーは、ただの好みだと私は思う。
だから否定ではなく、本当に単なる好みの問題だと思う。

好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、興味ない人は興味ない。
それだけのこと。
生きていれば、学びは日常にいくらでもあるのだから。
どこで学ぼうと関係ない。

さらに言うと、
会社に対して、何も責任を持たない『カリスマ講師』の言葉よりも、会社の運命を握っている社員の言葉に耳を傾けてほしいなぁと感じることが多々あります。

だから、相手を『知らない人』と言うふうに見るのではなく。
どんな相手からも学び合おうとすることが、そして、人として対等に接することが、お互いの学びや成長につながるのではないかと私は思うのです。

今回の記事では、ほんの一部の人たちのことを取り上げたので、当てはまらない場合がほとんどかもしれません。

もし、誰かが高額セミナーやカリスマ講師などの心酔している時に、この記事を思い出して、自分からはどう見えるのか考察するきっかけにしていただけたら嬉しいです。

しつこいようですが、否定ではないですよ。
それぞれ役割があり、そして参加するしないは、ただの好みですので!

ちなみに、TOPが高額セミナーやカリスマ講師に心酔している時に、内部の人がそれを指摘してしまうと、頑なになります。
お困りの時は、外部をうまく使うことをお勧めします。

私の場合は、とことん話を聴いた後に、解決すべき具体的なことはなんなのか、質問によって深めていきます。
こちらは受容に徹し、相手の気づきを促すように、時間をかけて気づきの扉を開きます。

本当に大切にすべき人、一緒に未来を創造していく人は社内や身内なのだと本人が気づく対話を通じて、困った状況を打破しています。

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