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深山 敏郎

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第138回 困ったときの老荘だのみ エピソード38

2024/02/06

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの137回目では、「奪うためにはまずあたえよ」について検討してきました。
老子は自然の摂理である「道」を体現することによって、本来の”Give and Take”、つまり互恵関係も得られると言っています。

今回は、「無為にしてなさざるなし」を検討してみます。

無為にしてなさざるなし

今回は老子の言葉「無為にしてなさざるなし」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は無為自然に身をゆだねること、つまり作為を捨てることによってすべてが成し遂げられるというのです。

例えば君主が無為自然で「道」にのっとれば、すべてのものごとはごく自然な帰結に至るというのです。
こうした自然の営みの中にあっても人間というものは自らの我を通したくなる、つまり作為を働かせたいという欲望を持ちます。
そうした欲望に負けないためには、無心になることがよいというのです。

自然に反する現代と深く考える必要性

現代では、科学技術をはじめ高度な「知」によって万物を治めようとする人間が、かえってその「知」の生み出した成果に縛られ、バランスを失いつつあります。
高度経済成長を目指して工業化を進めた結果、人間をはじめあらゆる生物にとっては過酷な生態系や地球環境を生み出しています。
結果としてこのようなテクノロジオーを作った自分たちを苦しめることになります。

例えば生成AIによる著作権の侵害をめぐってはさまざまな裁判が始まっており、統一のルール作りが急がれます。

またAIを用いた自動運転車などの実験的な走行があたかも明るい未来を象徴する事実であるように喧伝されています。
しかし、もしその自動運転車が仮に死亡事故を起こした場合、いったい誰の責任になるのでしょうか。
運転者でしょうか、自動車(アッセンブリー)メーカーでしょうか、はたまた不完全なソフトウェアを供給した会社でしょうか、衛星とのコミュニケーションに問題があるということもあるでしょう。
こうした現実がすぐ近くまで来ています。

そうした社会のルールが確立されるまえにさまざまなテクノロジーが私たち人類に技術的可能性を旗印に、半ば無思考な方向に突き進ませているように思えます。

食品をめぐっても、遺伝子組み換え技術の応用は本当に好結果しか生まないのでしょうか。
まだそういう食品を摂り続けた場合の30年後、40年後の姿は分かっていません。

テクノロジーとともに、社会の「知」が必要であり、私たち人類は、テクノロジーということをより深く、本質的なレベルで考え直す必要があるのではないでしょうか。

老子は言うのです。こうした「知」をより深く考えよ、と。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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