サッカー日本代表が、過去のワールドカップ優勝国であるドイツ、スペインを破り、
決勝トーナメントに進出したカタールワールドカップ。
ドーハの歓喜と呼ばれ、日本を大いに盛り上げた2022年。
その約30年前、ドーハの悲劇と呼ばれる出来事があったのは、
私たち世代にとっては懐かしい記憶だと思います。
1994年に開催されたアメリカワールドカップの出場を争うアジア予選。
当時の日本代表はワールドカップへの出場経験がなく、初出場を目指す戦いでした。
91年にJリーグが発足し、ブラジルの名門サントスFCで活躍していた、
カズこと三浦知良選手が日本に帰国し、日本を初めてのW杯に連れていくと、
Jリーグで活躍し、盛り上がりを見せていた時期でした。
当時のアジア最終予選は6チーム総当たりで上位2チームがW杯への出場を掴む形でした。
日本は2戦目を終えて最下位。
背水の陣で挑んだ3戦目を3-0と快勝し、望みを繋ぎます。
そしてもう負けが許されない4戦目は、それまでアジア予選で一度も勝ったことのない韓国戦。
この試合を見事に1-0で勝利し、最終戦に勝てば自力での初出場を掴めることになりました。
大きな壁だった韓国に勝利し、歓喜する監督、選手、そしてメディア。
その中で一人浮かない顔をしてイライラを爆発させていたのが背番号10番のラモス瑠偉選手。
「まだ何も成し遂げていない。」「喜ぶのは早すぎる。」「まだまだこれからだ。」
と、移動のバスの中でも他の選手たちの喜びを抑えようと声を荒げていました。
そして運命の最終イラク戦。
2-1でリードした後半45分のラストワンプレー。
イラクチームの意表を突いたショートコーナーにカズ選手の対応も一歩遅れ、
投げ出した足の上を相手のセンタリングが通過しました。
そして相手選手のヘディングシュートが日本ゴールに入ってしまい同点。
W杯初出場の切符が目の前からこぼれ落ちた瞬間でした。
次々にグランドに倒れ込む日本選手。
その中でカズ選手は失意の中でも立ち上がり、「まだまだ」「ここから」と、
センターサークルまで走りました。
しかし無情にもプレー再開とともに試合終了のホイッスルが吹かれました。
何も手にしていない状態で喜びを爆発させた選手たちを諌めたラモス選手。
可能性が0に近い状態でも最後まで諦めずに力を振り絞ったカズ選手。
こういった選手たちが経験したことを後世に繋ぎ、チームを強化し続けた日本代表。
その積み重ねが、30年という時を超えて、歓喜へと変わりました。
会社、組織においても、苦難の日々、苦労の連続、
歓喜からどん底に突き落とされるような経験は、どの会社にもあるのだと思います。
その経験を活かし、組織を強くし、さらなる高みを目指し続ける。
ローマは1日にしてならず。
会社、組織を作り上げていくのも時間がかかります。
ラモス選手、カズ選手のようにチームの模範となるような社員の存在が非常に大事ですね。
採用、育成、そして文化の伝承。
組織づくりに大切なことをスポーツは学ばせてくれる好例だと思います。