コラムの112回目では、老子の言葉「腹をなして目をなさず」を取り上げました。 老子は外部から我々が得る刺激には注意すべきであり、私たちにとっては内面を充実させることこそが重要である、と説いていました。
今回は「わが身を貴べ」をご紹介します。
「天下よりも身を貴(たっと)ぶ」とは
老子は言います。
「人間というものは、栄誉を得ては胸を騒がせ、また、恥辱を負ってはまた胸を騒がせる。自分自身と栄誉や恥辱を同一視し、また、その一面だけを見ている」
と。
老子は「そもそも自分がなければ栄辱もありません。自分あっての栄辱であるならば、自分の身こそ貴ぶべきではないか」と説いているのです。
「わが身を貴ぶ」ということは、利己的に振る舞うということとは異なります。
それはわが身に備わった「道」を貴ぶということを意味します。
「美しい色彩は、人の目をくらまし、快い音楽は耳の感覚をしびれさせ、ご馳走は味覚を狂わせる。狩りを好んで獲物を追うことに熱中すれば、人の心は平衡を失います。宝物を手に入れようと夢中になれば、人は行為を誤ってしまう」と。
老子は「聖人は、外面の刺激を求めず、ひたすら内面の充実を追求します。つまり欲望を捨てて『道』に則るのです」と説きます。
「政治に心を奪われ、本来の自分を粗末に扱う人には政治を任せられない」とも言います。
これは政治のパワーゲームに終始することへの警鐘です。
自身を大切にする人は、物事の本来をわきまえた人
私たちは小さな栄誉を得ようとやっきになって「心」をないがしろにし、「内面」の充実をおろそかにしてしまいがちです。
老子の言う自分自身を大切にするということは、とりもなおさず「道」を深く理解する人の人生態度にほかありません。
私たちは、仕事のストレスから時にやけ酒に走ったり、ギャンブルや遊興にうつつを抜かします。
しかし、それらは自分自身の声に気づいているといえるでしょうか。
自らの心の声に耳を傾け、内面の充実をすることこそ、私たちが唯一行うべきことではないでしょうか。
今回のコラムが、皆様の本来するべきことを深く考えていただくきっかけになれば幸いです。
「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。
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(筆者:深山 敏郎)
株式会社ミヤマコンサルティンググループ
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