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深山 敏郎

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第111回 困ったときの老荘だのみ エピソード⑪無の用

2023/08/01

前回このコラムの110回目では、老子の言葉「『道』を体する」を取り上げました。
老子は「道」を実行する困難さを説いていました。

今回は「無の用」をご紹介します。

「無の用」とは

老子は言います。
「たくさんの輻(や、矢のこと)を一つの轂(こしき、車軸のこと)にはめ込んで車輪を作ります。その中が空洞だから、そこに心棒を通して車輪をまわすことができるのです。粘土をこねて瓶(かめ)をつくります。中が空洞なので物が入れられます。出入口をくり抜いて部屋を作ります。出入口がうつろなので、部屋が使えるのです。このように『無』の働きがあるからこそ、『有』が役立つのです。」
と。

この中で分かりやすい例を一つだけ取り上げて、老子の言わんとしていることを推察してみましょう。
瓶は中が空洞だから、水を溜める、あるいは穀物を入れておくことができます。
それと同じように、私たちの頭の中をすっきりと整理して不要なものを排除してこそ、真に感じることが出来ます。また何の先入観を排して考えることができます。

心を無にする必要性

私たちは年を重ねるごとに、また、ビジネスや処世術などの知識や知恵が増えるごとに、かつて自身が子供だった頃のように心を無にしてものごとを観察し、他者の話を聴くことが出来づらくなります。
筆者も先入観、固定観念に凝り固まっていると感ずることが多々あり、それが真実をまっすぐに観ることの妨げになっていて、ビジネスでもプライベートでもうまくいかなくて、いらいらすることがあります。

老子が言いたいことは、私たち常人のこのようなことを振り返り、どうあるべきかを真剣に考える必要性を言いたいのではないでしょうか。
また、その実行の必要性を説いているのではないでしょうか。

新たな知識を得るためには、これまでの知識を捨てて「無」から吸収する姿勢が必要ではないでしょうか。
会社経営をしていると、多くの場合、自分があたかも有能で、偉くなったような錯覚をして他者の言動を批判します。
また、それが叶わないときには、ぼやきます。
管理職も同様です。
新人も同様ではないでしょうか。
こうしたことはすべて、私たちが心の「無」ということをいまだ理解していないから、と老子は言っているように思えます。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
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