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星 寿美

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第181回 否定され続けた子の末路

2024/10/21

自分語りです。
否定され続けた子の末路。
結果的にめちゃくちゃHappyに!

でも、これはみんなに当てはまるわけでもないし、状況もさまざまでしょう。
逃げられない虐待を受けているような状況の人もいるし。
一概に言えない複雑さはあります。

それでも、『人生は、やっぱり自分次第だなぁ』って、私は感じているのです。
それは私が恵まれている側面も大きいかもしれません。
でも、感じていることを表現してみたいなって思いました。

両親のこと

母は、対人恐怖症で人のことを信じることができず、人付き合いができません。
誰かが自分の悪口を言っていると感じてしまうので、子どもの頃の私にも、人の悪口を言うのです。
だから夫(私にとっては父)や近所の人の悪口を聞いて育ちました。

その反面、私のことは愛してくれていました。
病弱だった私を一生懸命に看病してくれたし、ご飯を作ってくれました。
母自身も病弱だったのに、風呂なし貧困生活の中、無理して仕事をして心に余裕がなかった。
そんな中でも世話をしてくれました。

父は、『根が真面目でいい人』だと今はわかります。
でも当時は、母に烈火の如く怒鳴り、母は発狂して家を飛び出す、ということが日常。

怒鳴りあうか無視し合うかと言う夫婦関係を見ながら、お互いから悪口を聞きながら、育ちました。
そして、

『世間様に恥ずかしい』『そんなんじゃ、これから生きていけない』『お前は感受性が強すぎる!』と、私はとにかく否定され続けました。

母は、子どものことも、誰のことも信じることが難しい反面、権威には弱く。
『学校の先生が嘘つくわけない!』『どこどこの有名な先生がこう言っていた!』と盲目的に信じてしまう側面もありました。

今では、父にも母にも感謝が溢れます。
狭くて汚い、お風呂もない家で生きていくことに精一杯。
疲れきっていて心に余裕もない中、育ててくれた。
私が欲しいと思う愛はなかったけれど、確かに愛されていたって思えるのです。

私のこと

『私は世間様に恥ずかしい存在なんだな。』『私はこのままでは生きていけない人間なんだな。』『感受性が強いのはすごくいけないことなんだな。』『私は普通じゃないんだな。』
そういう概念がどんどんと育っていきました。

母は、友達がいません。近所付き合いもできません。
そんな母と母子一体で育ったのです。
だから、私も人とどう関わっていいのか、本当に悩み苦しんでいました。

今の天真爛漫な私を見たら、誰も信じてはくれないと思いますが!

社会に出た後も、人との距離感に悩み、大人のエグいいじめにもあい、悩みは続きました。
母は、子どものことも信用できないので、カバンや机の中や、全てチェックします。
それをなんと私は、幸いにも大人になるまで気づいていなかったんですね。

母は、私に友達ができても彼ができても、相手のことを根掘り葉掘り聞いて、いい顔しないんです。
口では「良かったわね〜」と言って、顔は全く良かったと思っていない。
それを伝えると『感受性が強すぎる!普通はそんなことは言わない!』と叱られてしまう始末。

さて、そんな状況だった私の末路!
今は本当に幸せなんです。

転機は3つ

①物理的な距離
まず、18歳で家を出て、物理的に距離をとったこと。
これがとにかく大きい!
一緒にいたら難しかったなぁって、しみじみ。
やはり風呂なしの小さなアパートだったけれど。
実は、母のなけなしの貯金で短大に行かせてもらいました。(本当に感謝が溢れます!)

短大と、いろんなバイトを掛け持ちする日々。
短大では友達ができました。
バイト先でも友達ができました。
もちろん、距離感に悩み、うまく関われない悩みを抱えつつでしたが、私の世界は少しずつ広がっていったのです。

しかし、短大を卒業後、社会に出てから『大人のエグいいじめ』にあって、またも悩み苦しむことに。
仕事を転々として、人間関係が本当に難しかったんですねー。
今思えば、私がそう言うオーラを出していたのだと思います。

どんな関係もお互いに作っているものだって今は腑に落ちています。
しかし当時は辛かった・・・。
そこから逃げるように応募したのが公立の学童保育。

②学童保育の先生になったこと
『公立の学童保育指導員』に合格したこと。
毎日50人の子どもたちが全身全霊で遊んでくれる、そんな環境の中で、私はやっと人として成長し始めたんです!

もし、この職業を選んでいなければ、そしてのべ500人の子どもたちに出会っていなければ、今の私はないし、今の仕事もしていません。
本当に大きな転機でした。

③息子との出会い
それから、我が子との出会いです。
愛しいって気持ちをそれまで知らなかったんですね!
本当に言葉に全くできない愛しさを感じた瞬間に、もう人生が変わってしまいました(正規産で967g、10ヶ月お腹にいた中では、当時日本一小さな赤ちゃんでした)。
手のひらに乗るほどの小さな、規格外の赤ちゃん。
初めて息子に出会った感動が今でも続いています。

現在21歳になる息子ですが、もちろん今でも愛しくてたまりません!
本当に幸せです。

さらに、元夫がひどいDVだったのも良かった!
中途半端だったら、いまだに私は『いい家庭を作ろう!』って頑張っていたと思います。
でもDVだったから、私は、3歳の息子と4畳半のアパートで養育費も実家もなく人生再出発!
もう、ここからは(お金には相当苦労したけれど)めちゃくちゃ幸せな人生の幕開け!

そう考えると私の転機はいつも子どもたち。
子どもから本質を学んで、どんどん人として成長することができましたし、そのおかげで、オリジナルのコンテンツが生まれて今の仕事につながっています。

大人が教えることなんて、ほとんどなくて。
大人が子どもから学べば、どんどんお互いに成長し合える関係になれる!

それを学童の子どもたちや我が子との関わり合いの中で実感しています。

まとめ

否定され続けたプロセスがあるからこそ、それとの比較や、そこからのプロセスが大事で。
そうだったからこその今。
私はとっても幸せです。

もうひとつ言うなら。
よく、親の愛は無償って言うけれど、私は逆だと思うのです!

子どもの愛こそ無償です。
例え、どんなに酷い親だったとしても、子どもは親のことが大好きです。
そして、いつも本質を伝えてくれる存在。

子どもの愛こそ無償!
子どもたちから本質を学べば大人はどんどん成長できる!

って感覚を広めていきたいなぁと思います。(で、去年NPO法人立ち上げました!)

今は、心からやりがいを感じる仕事で会社を作り、仲間たちもいて。
NPOも立ち上げて、『自分を生きている!』と言う実感があります。
それは、今までの全ての経験が必要だった。

大変な状況の中で、苦労して育ててくれた両親に、あの否定され続けた日々にも。
感謝が自然に溢れてきます。

否定され続けた子の末路。
子どもたちの存在が転機になって、今はとっても幸せです!
今日は、完全な自分語り、失礼いたしました。
なんか、このことを表現してみたかったのでした♪
ありがとうございます!

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