先日、日本経済新聞に「AIがスマホの複数アプリ横断で操作 Googleが今夏からOS刷新」、そして関連して「Google新AIサービスの潜在力 スマホ操作を一変させるか」という記事が掲載されました。米グーグルが、スマートフォンの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を刷新し、「Gemini(ジェミニ)インテリジェンス」という新機能を発表したという内容です。これは、複数のアプリをまたいだ操作を人工知能(AI)に任せられるというもので、今夏からグーグルやサムスン電子のスマホで順次展開されるといいます。
記事で挙げられていた具体例が実に分かりやすいものでした。街中で見つけたイベントのポスターを撮影して「チケットを2枚、取っておいて」とお願いすれば、AIがスケジュールの空き状況を確認しつつ、オンラインストアでチケットを購入する手前まで進めてくれる。あるいは、メモ帳に書いた買い物リストを読み取ってECアプリの買い物カゴに入れておいてくれる。これまでのように、自分でアプリを起動し、確認し、別のアプリに切り替えて……という煩雑な手間が、まるごと省けるわけです。
この記事を読んで私がまず感じたのは、「いよいよ一人ひとりに、専属の秘書がつく時代になったのだなぁ」という素直な感慨でした。しかも、アプリを一つひとつ操作する必要すらなく、音声入力やスマホとの対話だけで、やりたいことが完結してしまう。操作の主役が「タッチ」から「音声・対話」へと移っていくのです。音声入力の際に「えーっと」「あー」と口ごもっても、AIが自動で除去して簡潔な文章にまとめてくれるというのですから、ひと昔前から考えれば、まさに夢のような世界が近づいています。
ただ、新しいサービスが更新されたり、登場したりするたびに、私が毎回思うことがあります。それは「果たして、これを使いこなせる人がどれだけいるのだろうか」ということです。いえ、新機能以前の問題として、そもそも今あるスマホ自体の機能やサービスを、私たちはどのくらい使いこなせているのでしょうか。
正直に告白すれば、ITやオンラインに関するコラムを毎週書いている私自身でさえ、スマホの機能を「3割も使いこなせているだろうか」と感じることがあります。あくまで体感ベースの話ですが、おそらく多くの方が、同じような実感をお持ちなのではないでしょうか。逆に言えば、もしこれらを存分に使いこなせたなら、生活は大きく変わり、仕事でも相当な成果が出せるはずです。それでも、なかなかそこに至らない。新しい機能やサービスを覚え、使いこなせるようになるまでには、気力も体力も知力も、そして「使いたい」という欲求も要ります。さらに言えば、それを学ぶ「きっかけ」や「縁」がないことも、大きな要因の一つでしょう。
私の場合は、たまたまこの方面に詳しく、いろいろと教えてくれる人が周囲にいたからこそ、多少はマシなのかもしれません。しかし、誰もがそうした環境に恵まれているわけではありません。この「教えてくれる人がいるかどうか」という差は、本コラム第270回で取り上げた高齢者のデジタルデバイドの問題と、根は同じだと感じます。あのとき私は、東京都の「TOKYOスマホサポーター制度」に触れ、どんなに周囲が「使わせよう」と思っても、本人に明確な目的や意思がなく、継続的に教わる機会がなければ、なかなか活用には至らないという現実を書きました。新しいAI機能の登場は、皮肉にも、この「使いこなせる人」と「使いこなせない人」の格差を、さらに広げてしまう可能性をはらんでいます。
一方で、社会全体のことを考えれば、今回のようなサービスこそ、本来は情報弱者と呼ばれる方々が使いこなせるようになれば、大きな福音となるはずです。複雑な操作を覚えなくても、話しかけるだけで用事が済むのですから、これほど親切な仕組みはありません。行政サービスや日常生活の手続きが音声だけで完結すれば、社会全体のコストやリスクの軽減にもつながるでしょう。ただし、その裏側で、セキュリティやコンプライアンスといった、これまでとは違う種類のコストやリスクが新たに発生することも確かです。AIが許可したアプリの中でしか動かず、決済などの最終判断は必ず人間が確認する、という今回の設計思想は、まさにその懸念への目配りなのだと思います。
話が長くなりましたが、私が言いたいのはこういうことです。新しいスマホとの向き合い方を迎えるにあたって、学校、地域、医療、介護、家庭、そしてビジネス——あらゆる部門のリーダーや、広報的な役割を担う人たちが、「こんな使い方もできる」「こういう風に変えていこう」という具体的な発信を、続けていく必要があるのではないか、ということです。本コラム第275回でも、子どものSNS利用規制をめぐって、制度の整備と並行して「継続的な啓蒙」こそが最も重要だと書きました。そのメッセージは、AIエージェントの時代にも、まったく同じように当てはまります。何よりこの手のものは、たくさんの人が使うことで初めて、相乗効果が生まれるのですから。
もちろん、世の中にはスマホやデジタルにアレルギーのある方もいらっしゃるでしょう。それはその方の生き方であり、無理に強制する必要もなければ、全員がやらなければならないものでもありません。ただ、そうした方々が後々、情報化社会・デジタル社会のなかで「弱者」になってしまわないように、私たちは環境づくりや情報の届け方を工夫し、セーフティーネットを整えておく必要があると思うのです。第276回で、通信という「土台」は電気や水道と同じく止まることが許されないインフラだと書きましたが、その土台の上で誰もが等しく便利さを享受できるようにすること——それもまた、社会全体で守るべきものの一つだと感じています。
便利なデジタル社会が、一部の使いこなせる人だけのものになってしまっては意味がありません。スマホに秘書がつくような時代だからこそ、その恩恵をすべての人に行き渡らせるための地道な発信と、取り残される人を生まないための備えが要る。デジタルが進化し続けるからこそ、人の側のそうした営みもまた、進化させ続けなければならない。改めて、そう感じている今日この頃です。