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金山 正明

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第57回 この人に聞く!~人・組織が羽ばたく時~

2022/01/16

東京港醸造株式会社 代表取締役杜氏 寺澤善実様(其の1)

今回の対談は、東京港醸造株式会社 代表取締役 杜氏の寺澤 善実様にご協力頂きました。
東京港醸造株式会社様は、東京のど真ん中港区で大都会に蘇った酒蔵としてお酒造りをされております。
代表取締役杜氏の寺澤善実様が40年以上に渡る日本酒造りの経験から開発された酒造りとはどんなものなのか。
今回は日本酒造りに携わることになったきっかけと、蔵人としての歩みをお届けいたします。

金山:まずは日本酒造りに携わることになったきっかけから教えて頂けますでしょうか。

私もともと出身は京都の北部で舞鶴に近いところだったんですけども、家が兼業農家で子供のころからお百姓のお手伝いをやっていました。
学校から帰るとまずは家の手伝いをやりますので、稲作とか農業というのが幼少のころから自分の身近にあったんですね。
学校の近くには若宮酒造株式会社(綾子町)いう酒蔵があって、酵母であったり麹であったりの生産をその頃に初めて見ました。
育ってきた環境や家業の影響もあったのですが、将来は農産物を利用したような業種につきたいと思うようになりました。

大手酒造メーカーでキャリアを歩む

高校卒業が近づくころ、沢山の酒蔵を見て回ることにしたんです。
高校生って大学の就職のように個人では動けないので、進路指導の先生に話をして、親にもついてきてもらって、酒蔵を見て回りました。
結果大手酒造メーカーに就職することにしたんです。
幸いにも醸造部というお酒を造る部署に配属されまして、約20年間全工程を経験させて頂きました。

金山:高校卒業から20年間大手酒造メーカーにいらっしゃったんですね。
そこでお酒造りの基礎を学ばれたんですね。

そうですね。
ただ、大手メーカーでしたので、朝8:30~17:00までのお仕事ですし週休二日が確保されていて、冬の間こそ休日出勤がありしましたが、労働条件はすごく良かったですね。
そういった環境もあって、余暇を楽しむ時間が多かったですね。
車のレースや自転車のレース、学生ではできないようなお金のかかる趣味を楽しんでました。
蔵人でありながら、冬にはスキーにも行ったりしましたね。
なので、当時は東京に来るなんてこれぽっちも思っていませんでした。

きっかけは東京醸造所 

ただ一つ東京にくる大きなきっかけができたんです。
会社がお台場に小さな醸造所をつくるという話しがでてきました。
ただ、私が赴任するなんてこれぽっちも思っていなかったのですが、社長から声がかかりまして、せっかく抜擢されたので数年なら行ってみようと思い行くことにしたんです。

2000年の開店当初から約52平米の小さな醸造所で試行錯誤を重ね酒造りをしてきました。
一番初めはアルファ化米という原料と乾燥麹というものを使って簡易に造れるお酒を提供していました。
ただ、より良いものを求めて手探りでしたが、全工程をその場でできるようにしていったんです。
その結果2008年には全国新酒鑑評会で金賞を受賞するまでになったんです。
ただ、お台場という立地でメディアはすごく注目していたんですが、平日は人がまばらな状態が続き、出口であるショップ、レストランの売り上げは思うように伸びませんでした。
最終的にお台場醸造所は、開店から10年で撤退することになりました。

金山:そうだったんですね。
それからは京都に戻られずに東京でお酒造りを続けられてんでしょうか。

実はお台場醸造所が撤退した後も東京に残ってお酒造りを続けることにしたんです。
それが現在の「東京港醸造」になるのですが、いったんは歴史が途絶えた江戸創業の酒蔵を復活させたいというお話しがありまして。
お台場醸造所の技術で蘇らせてほしいと。
これがいうならば私にとって大きなターニングポイントとなりました。

金山:なるほど。
人生を変える出会いがあったんですね。
ぜひ次週そのお話しを聞かせてください。

今週は寺澤様の日本酒造りに携わることになったきっかけと、蔵人としての歩みをお届けしました。
次週もお楽しみください。

会社情報

会社名:東京港醸造株式会社
本社:東京都港区芝四丁目6番10号
HP:https://terasawa.tokyo/index.html 
事業内容:
・酒類の醸造設備、電気機械設備の設計、
・製造、 販売、 賃貸借、 輸出入、 施工、保守及び管理