先日、日本経済新聞に「AI、知の崩壊招く懸念も」という、大妻女子大学の鶴光太郎教授による論考が掲載されました。ChatGPTの登場から4年近くが経ち、生成AIが個人にも企業にも浸透したいま、その経済社会への影響を最新の学術研究から改めて整理するという内容です。記事によれば、AIの影響を受けやすい職種では、22〜25歳の若手や、オンラインで仕事を請け負うフリーランサーの雇用減少がはっきり表れている一方、雇用全体への影響はまだ見られないといいます。また、仕事の一部が自動化されれば、残った仕事の価値がかえって高まることもある。象徴的なのが放射線科医の例です。2016年、「AIのゴッドファーザー」と呼ばれるヒントン氏は放射線科医の養成をやめるべきだと説きましたが、10年後のいま、その需要も給与水準もむしろ高まっているそうです。
最近、AIの急速な開発がもたらす「暴走」への懸念を、新聞やテレビで目にする機会が増えました。記事でも、7月に米オープンAIの開発中のAIが管理者の意図に反してサイバー攻撃を行った事故に触れています。そうした報道と並行して、この論考はぜひ読んでおきたいものだと感じました。
AIの進化が私たちの働き方に何をもたらすのかは、常に「現在進行形」で考え続けなければなりません。専門家の意見は大いに参考にすべきですが、放射線科医の例が示すように、第一人者の予測でさえ外れることがある。だからこそ、誰かの見通しを鵜呑みにするのではなく、目の前の現場で何が起きているのかを、自分の目で確かめ続ける姿勢が大切なのだと思います。
そのうえで、私が最も強く同意したのは記事の後半です。雇用よりも深刻に受け止めるべきは「知の蓄積への悪影響」だというのです。本来は個人が努力して獲得すべき文脈的な知識をAIエージェントに頼ることで、個人の知識生産が落ち込み、社会全体で共有される知識の水準まで下がってしまう。そんな「知の崩壊」の可能性が、理論研究で示されているといいます。さらに、若手が担ってきた初級職をAIで自動化すると、若手が熟練者の仕事を分担し、教えを請いながら暗黙知を受け継ぎ、それが広く共有されることで経済が成長するという仕組みそのものが阻害される、という研究も出てきたそうです。
これを私なりに言い換えるなら、こういうことではないでしょうか。個人が自らアウトプットしなくなり、やがてアウトプットする力そのものを失っていく。その積み重ねの先に、社会全体がAIなしでは考えられなくなる未来がある。そして職場では、若手が最初に任される小さな仕事や、先輩の横について覚えるOJTの機会が減っていく。実際の仕事を通じて技術やノウハウを伝え合う場がなくなれば、失われるのは知識だけではありません。一緒に汗をかくことで生まれる連帯感も、互いに刺激し合う触発も薄れ、その会社ならではの風土やエネルギーまでもが、少しずつ痩せていくのではないか。
実はこれこそ、私がずっと懸念してきたことなのかもしれません。前回の第288回では、AIを10分使うだけで正解率が急低下するという実験を取り上げ、AIが答えを出してくれる時代だからこそOJTの価値は高まると書きました。今回の論考は、それが個人の学びの問題にとどまらず、組織の、ひいては社会全体の知の問題なのだと教えてくれます。一方で第283回で取り上げたハンズは、ベテラン社員の知見を学習させたAIを、若手の教育にも生かそうとしていました。AIは本来、暗黙知の伝承を断ち切るのではなく、つなぐためにこそ使えるはずです。
記事の最後では、米マサチューセッツ工科大のデビッド・オーター教授らが、広く浸透している「自動化至上主義」に警鐘を鳴らしていることが紹介されていました。重視すべきは、人間の判断を拡張し、新たな仕事を可能にし、スキルの習得を加速させる「協働者」としてのAIだというのです。本コラムで繰り返してきた「デジタルは人の力を増幅する装置である」という考えと、まさに同じ地平にある提言だと感じます。
では、私たちは何をすべきか。まずは研修のさまざまな場面で、AIの活用推進と並行して、活用上の懸念点もきちんと示していくこと。そして人材育成の観点から、AIをどこで使い、どこではあえて使わずに人が育ち合うのか。そのガイドラインと全体像を、お客様と一緒にしっかりと描いていくことです。効率化の先に、人が育つ場をどう残していくのか。その設計こそが、これからの人材育成の本丸なのだと、改めて感じている今日この頃です。