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深山 敏郎

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第160回 困ったときの老荘だのみ エピソード60

2024/07/09

毎回老子の言葉をひとつずつご紹介しています。
コラムの159回目では、「禍福は盾の両面である」について検討してきました。
老子は言います。
「そもそも禍には常に福が寄り添い、福には禍が寄り添う。
両者を分けて考えることは出来ない」と。

今回は「農夫のごとく」です。

「農夫のごとく」とは何か

今回は老子の言葉「農夫のごとく」の意味をご一緒に考えましょう。
老子は言います。
「農夫のごとくあることは、政治の原則である。
また、教育者のあり方である」と。

いずれにせよ、政治の指導者は農夫を見習うべきであると老子は考えます。

自然の原理にしたがう

老子は政治をする者のあり方についてたびたび言及します。
「自然に任せることが重要である」と老子は常に言いたいのです。
農夫は自然の理に従い、作物の成長を促すという。

政治の場合には、為政者は徳を内に持つことによって自然に治まるというのである。
私たちは個性を出そう、前任者のやらなかったことをやろうと必死になります。
そうではなく、徳を内に持てばあとは自然に任せるという姿勢が大切である、と老子は言いたいのです。

自然の原理を見極める“眼力”の必要性

私たちは自然の原理をしっかりと把握しているでしょうか。
それをするには何よりも私たちの“眼力”、つまり自然の原理を正しく理解する力が必要ではないでしょうか。

経営者や管理者が肩の力を抜くことは、ものごとを自然に任せるためには非常に大切なことです。
ビジネスの推移、対人関係の今後などをきちんと見極めて必要最低限のことを行うこと、それが極意ということではないでしょうか。
私たちは日頃、この見極めが出来ず、ただただ肩に力を入れて不要なことを行ないます。
後から考えてみれば、あれは不要だった、あそこでなぜ自然体でいられなかったのだろう、と反省することがあります。
そうした反省を、ことを行う前に持ってこられたらどれだけ良いことか。
これこそが自然の原理を見極めるということではないでしょうか。

本コラムが私たちの日々の悩みを和らげ、深く自省するきっかけになれば幸いです。

「老子」に関しては、徳間書店「中国の思想」第6巻 「老子・列子」を参考にさせていただきました。

レジリエンスの高い人の特徴を詳しく知りたい方は、拙著:「レジリエンス(折れない心)の具体的な高め方 個人・チーム・組織」(セルバ出版)などをご覧いただければ幸いです。

(筆者:深山 敏郎)
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